河合さん | へたれの怖怖日記

へたれの怖怖日記

怖いのほんと苦手なのに、怖い話が大好きという
矛盾に苦しむへたれ男児のつらつら日記です。

当時、親戚のおばさんで河合さんという方がいました。

小さい頃は気さくでよく喋る方だったのですが、旦那さんが

病気で亡くなってからは性格が変わってしまい、塞ぎ込みがちに

なっているそうです。ある日の夜、確か夜の八時半頃だと思います。

部活のバスケの練習が終わりに差し掛かった頃、学校の体育館の

玄関口に、河合さんがやって来ました。

 

とりあえず、私は「あれは親戚の人です」と顧問の先生に言うと、

顧問の先生は会釈しながら玄関まで向かい、河合さんと何やら

喋っていました。顧問の先生が戻ってきて、深刻そうな顔で

「道子、おまえのお父さんが、交通事故に遭ったらしい……」

「え?そんな……」

「あの親戚の方、車で迎えに来たそうだから、一緒に帰りなさい」

私はもう何年も河合さんと会ってすらいませんでしたが、記憶には

充分残っていましたので、本人には間違いありません。

気が動転しつつ、河合さんの車に乗り込みました。

車が出発した後、夜道を走りながら、私のほうから河合さんへ色々聞きました。

「お父さん今どこにいるんですか?」

「病院」

「どこの病院なんですか?」

「ここから少し行ったところ」

「どんな状態なんですか?」

「よくわからない」

なんだか素っ気ない返事ばかりです。

車はちゃんと運転してましたが、感情失せて心ここにあらずという表情でした。

しばらく走っていると、段々不審に思えてきました。

どんどん郊外のほうに走っているのです。主立った病院は全部市内にあるし

私の住んでいる市は山間に全部集中しているような所で、山に一旦入ると

隣の市街地までは相当距離があります。こちらから話し掛けても、素っ気なく

短い答えが来るだけだし、昔の話を切り出そうとしても、「そう……」と

つまらなそうに反応するだけ。

 

この、隣で運転しているおばさんは本当に河合さんなの?とすら

思えてきました。その内、市道が寂しくなるあたりまで差し掛かりました。

これを過ぎると、もう店らしい店すら無くなり、民家が山間にポツポツと

ある程度です。まだ開いて照明の灯っていたホームセンターの前辺りで、

「部活の用事思い出したので、先生に電話してきます」

と、私は強引に車から降りて、ホームセンターの中まで入りました。

窓からばれないようにこっそり外を見ると、河合さんが駐車場へ

車を止めて、ゆっくり店へ歩いてくるのが見えました。

何か嫌な予感がし、私は大急ぎで反対側出口から出て猛ダッシュ。

運良く道路に通りがかったタクシーを捕まえて、自宅を告げて

家に帰りました。家に着いてから母親にタクシー代を払って貰い、

玄関から入ると、父親が普通に茶の間で座り、ビール飲んでTVを見てました。

「なんだ息を切らして?」

私のほうを見て呑気そうに言ってきました。

事情を説明すると、父親の顔がだんだん厳しい表情になってきました。

河合さんとは、旦那さんが亡くなった後は神経系の病院に通っているらしく、

少々言動もおかしくなってきたたため、もう何年も交流がないそうです。

子供もおらず一人だけ残された河合さんは、精神的に疲れたのだろうと

父親は言っていました。まず、河合さんの自宅アパートまで電話……

誰も出ません。(当時、携帯電話はあまりポピュラーではありませんでした)

 

河合さんの実家に電話し、河合さんの母親(私から見たら、祖母の妹さん)に

出来事を話しました。すると……二日前からパート先を無断欠勤していて

連絡が来ていたとのこと。

そろそろ向こうからも連絡しようと思っていた所だったそうです。

河合さんがあんな状態で交流なくなったを知っているため、遠慮して

連絡が遅くなったらしいです。翌日、警察に捜索を届けて調べて貰いましたが

河合さんの部屋からは財布以外、これといった貴重品も持ち出しておらず

車と本人の行方が全く判らない状態ということが判りました。

 

ただ、部屋には女性の割にはお酒の空瓶が多く、神経系の処方薬が

何種類かあったそうです。20年経過しましたが、おばさんの河合さんは

未だに行方が判っていません。恐らく、私がホームセンターの窓越しに

目撃したのが最後だと思います。長い間行方不明のため、法律上も

失踪扱いになりました。

 

もしあの日、私が車に乗せられるがまま付いていってたら、

どうなっていたか……そして、私はどこに連れて行かれようとしていたのか……