京都に住む貧乏な男の妻に、ある時、狐が取り憑いた。
それを幸運な事と受け取った男は、毎日ぜいたくな
食べ物でもてなした。数日後、妻の口を借りて狐が尋ねた。
「なぜ、こうまでご馳走してくださるのです?
見れば、ことのほか貧乏なご様子。質に入れる物さえ
事欠くような暮らしですのに、不思議です」
「ご覧のとおり、何の因果か、昔から赤貧のため
どうにもなりません。しかし、狐は福を授けてくれると
申しますゆえ。すべて質に入れてでも、あなたにすがって、
これまでの難儀を吹き飛ばしたいのです」
狐は迷惑そうな顔をした。
「そういうわけでしたら、わたしは一日も居られません。
たった今、ここを去りましょう」
夫は驚いた。
「せっかく、今までご馳走してきたのに、出て行かれるとは情けない。
いや、どうか遠慮なく、いつまでもここに居てくださいよ。
いま、あなたに捨てられては、頼みの福も得られないではないですか。
ほんとうに困りますよ」
「それは人間の都合です。わたしたちには関係のない事情です。
が、まあ、同族の中には、人に福を与える狐もおりますが、
わたしは野良狐でして、そんな力はございません。しかしながら、
何日も、このようにご馳走してくださったのですから、お礼に福を
授ける狐と入れ替わり、願いを叶えましょう」
「もっともなご意見のようです。が、もしあなたが去った後、
万一、代わりの狐が来なければ、これまでの出費が無駄になり、
破産してしまいます。できれば、その福を授ける狐を、ここへ
呼び寄せた後、即座に入れ替わってくださいよ」
「うーんごもっとも。考えてみましょう」
次の日に狐は言う。
「昨夜、仲間の所へ行きまして、入れ替わってくれるよう
相談しましたところ、納得してくれましたので、わたしはこれにて、
おいとまします。この仲間が来て、わたしの代わりに願いを叶えるでしょう」
「いや、昨日申しましたとおり、もし偽りであれば身の破滅ですから。
お仲間を連れて来られて、願いが叶ってから、お帰りください」
「いやいや、一つしかない人の体に、二匹の狐が即時に
入れ替わることはできません。まず私がこの人の体を、都合よく隠し、
それから入れ替わるしかないのです。ご馳走になった恩がありますし、
どうしてこのうえ、わたしが嘘をつきましょう。疑わないでください」
「ならば、さっそく福を与える狐と替わってください。手遅れに
ならないよう、お願いしますよ」狐の憑いた妻は、ふらりと外へ出るように
見えて、そのまま気絶して倒れた。その夜、約束どおり別の狐が憑いて、
やはり妻の口を借りて話しはじめた。
「仲間に頼まれて入れ替わりました。福を授ける手段を考えてみましたが、
どうもあなたは生まれつき貧乏になる因縁でして、一向に手だてが
ありません。しかしながら、とてもご親切なかたなので、少しばかり
福を授けましょう。ただ毎日食うに困らない程度ですが」
「それはそれは、かたじけない。今までの苦しみが少しでも
楽になるのなら、これ以上、どんな願いがあるものですか」
大喜びの夫に、狐は言う。
「あなたには以前、一人の娘がおりましたね」
「おっしゃるとおり。ですが、乳の出も少なく、養育する手段もないまま
捨て子にいたしました」
「その娘が、今は相応の身の上となっております。例の食うに
困らない程度の福は、さずかるでしょう。間もなく、その娘と
お逢いできましょうが、ただし、一度だけですぞ。もう一度逢いたいなどと
思われては、せっかくわたしが考えた方法も、尻切れトンボになってしまいます。
そこのところを重々、ご承知の上でしたら、願いを叶えましょう」
「かたじけない。何とお礼を言ってよいものか」
夫はますます喜んで、さらにご馳走を用意した。狐はとても迷惑な様子で、
「貧乏なさっているのに、この上ご馳走されてはたまりません。
もはや用もございませんので、これで家を去りましょう」
「せめて今しばらく!」
夫は引きとめるが、
「いやいや、このような難儀の有様を見て、どうして片時も逗留できましょう」
狐が出て行ったかと思えば、妻はまた忘我の状態に陥り、気を失った。
しばらくして、ようやく意識を取り戻したが、この話をしても一向に
覚えていなかった。ともあれ、狐が福を授けてくれるというので、
夫婦は楽しみに待っていた。二、三ヶ月は、何の音沙汰もなかった。
あるとき、京都から来たという男が一人、家を訪ねた。娘からの
伝言をことづかっていた。
「不思議にも、ここに実の両親がいらっしゃることを知りました。
明日、お目にかかります。決して外出なさらないように」
待ち受けていたことなので、大喜びし、外出しないと約束して男を帰した。
果たして、翌日に娘が来た。両親を見て泣き、しばらく語り合い、
*金子三百疋(きんすさんびゃくもん)の目録を残して帰った。
※疋(ひき)は銭を数える単位で十文(じゅうもん)のこと:金子三百疋とは一文銭が3000枚分のお金のこと。現在の金額に換算すると約30万円相当
それから毎月、金三百疋ずつ、娘が送ってきたので、ようやく赤貧から逃れ、
夫婦は以前よりも安らかに暮らした。けれども、娘にはそれっきり、
二度と逢えなかった。娘のほうからも、
「決してわたしを訪ねないでください。訪ねれば、お互いのためになりません」
と、たびたび言ってきたので、そのままであった。じつは、捨て子を拾った者が、
この娘を島原(花街)へ売り、今は太夫(最高位の芸妓)となっていたのだ。
ゆえに面会をはばかったのだという。
しかし、夫婦が実の親だと知って、わざわざ一度は逢いに来たのは、
どういうわけだろう。例の福を授ける狐とやらが、夢の中で告げたのだろうか。