暴力論という問いがある。
暴力はゼッタイダメとか、非暴力とか、そういう思考停止状態から抜け出す試みがなされる。
大阪釜ヶ崎の日雇い労働者の暴動について議論がなされてきた。
世界中のマイノリティやアナキストの歴史的な蜂起も然り。
権力に抗する暴力は肯定せざるを得ない、という結論もある。
そうしなければ、権力に生を奪われてしまうからである。
では権力をもつ者の暴力はどうか。
むろん否定されなければならない。
家庭内暴力に議論は必要か?
暴力論という問いがある。
暴力はゼッタイダメとか、非暴力とか、そういう思考停止状態から抜け出す試みがなされる。
大阪釜ヶ崎の日雇い労働者の暴動について議論がなされてきた。
世界中のマイノリティやアナキストの歴史的な蜂起も然り。
権力に抗する暴力は肯定せざるを得ない、という結論もある。
そうしなければ、権力に生を奪われてしまうからである。
では権力をもつ者の暴力はどうか。
むろん否定されなければならない。
家庭内暴力に議論は必要か?
阿部慎之助容疑者が娘に暴行した容疑で現行犯逮捕されました。
世の中の嫌なところが凝縮された出来事。
ただただ悲しいです。
そして相変わらず、容疑者自身のキャラクターがどうだのこうだのという話が出てくる。
彼の育ってきた社会に問題があった、という見方をしなければ、DVの問題は無くならない。
野球部コミュニティなのか、体育会系コミュニティなのか、そこは精査が必要だが、
権力の非対称を前提に、権力を持つ者が持たざる者を、時には暴力を行使して、従属させる社会。
そんな中で生きてきたのではないか。
意識や行動の「形式」に権力が刻み込まれてきた。
男/女、年長者/年少者、親/子、父/娘、監督/選手、先輩/後輩、、、
権力を持たざる者であるときは、秩序のためと暴力を容認し、自らが権力を持つ者になろうとする。
そして今、かれは権力を持つ者であった。
なぜ娘は通報したのか。
自分の父親が失職すると分かっていて通報する娘は愚かだ。
これで逮捕されるなら、昭和や東北の父親は全員逮捕されている。
SNSを見ると、いまだにこういうコメントがあります。
日本の家父長制はかくも深く浸透している。
権力構造を見抜き、抜け出すリテラシーを
教えてくれるだろうか。
小学校、中学校、高校は。
大学で学ぶのでは遅いのである。
でもどんなに遅くても、学んだ方がいいと思う。
みんなでわいわい世の中を批判できたら、まだ見ぬユートピアを想像したら、楽しいよね。
そんなのをライフワークにできたらっておもいます。