一日一惰

一日一惰

何か書く

暴力論という問いがある。


暴力はゼッタイダメとか、非暴力とか、そういう思考停止状態から抜け出す試みがなされる。


大阪釜ヶ崎の日雇い労働者の暴動について議論がなされてきた。


世界中のマイノリティやアナキストの歴史的な蜂起も然り。


権力に抗する暴力は肯定せざるを得ない、という結論もある。


そうしなければ、権力に生を奪われてしまうからである。


では権力をもつ者の暴力はどうか。


むろん否定されなければならない。


家庭内暴力に議論は必要か?




実家のくろが今朝旅立ちました。


賢く、安らかな最期だったそうです。


私が高校に入学した年にやって来たので17年。


今日までずっとありがとう。


愛媛に来てからはめったに会えなくなってしまって、


この前のGWに久しぶりに会ったのが結局最後に。

子を見てもらったんだ。


久しぶりに撫でたらゴロゴロと喉を鳴らしてくれました。


くろとの思い出は無数にあり、これからも思い出し続けたいと思います。


ずっと忘れないからね。

これがペットロスなのですね。


夜ふらっと散歩に出掛けたら、


用水路に蛍が一匹光っていました。


蛍なんて生まれて初めて見た。


愛媛に挨拶に来てくれたんだなあ。


なんて出来過ぎだけど、


今日はそれがいい。


次はあの世で会おう。



阿部慎之助容疑者が娘に暴行した容疑で現行犯逮捕されました。


世の中の嫌なところが凝縮された出来事。


ただただ悲しいです。


そして相変わらず、容疑者自身のキャラクターがどうだのこうだのという話が出てくる。


彼の育ってきた社会に問題があった、という見方をしなければ、DVの問題は無くならない。


野球部コミュニティなのか、体育会系コミュニティなのか、そこは精査が必要だが、


権力の非対称を前提に、権力を持つ者が持たざる者を、時には暴力を行使して、従属させる社会。


そんな中で生きてきたのではないか。


意識や行動の「形式」に権力が刻み込まれてきた。


男/女、年長者/年少者、親/子、父/娘、監督/選手、先輩/後輩、、、


権力を持たざる者であるときは、秩序のためと暴力を容認し、自らが権力を持つ者になろうとする。


そして今、かれは権力を持つ者であった。


なぜ娘は通報したのか。


自分の父親が失職すると分かっていて通報する娘は愚かだ。


これで逮捕されるなら、昭和や東北の父親は全員逮捕されている。


SNSを見ると、いまだにこういうコメントがあります。


日本の家父長制はかくも深く浸透している。


権力構造を見抜き、抜け出すリテラシーを


教えてくれるだろうか。


小学校、中学校、高校は。


大学で学ぶのでは遅いのである。


でもどんなに遅くても、学んだ方がいいと思う。


みんなでわいわい世の中を批判できたら、まだ見ぬユートピアを想像したら、楽しいよね。


そんなのをライフワークにできたらっておもいます。