おはようございます。
さんくるです。
お休みいただいて昨年の記事を再掲しています。
昨日の続きです。
たぶん母の場合、脳梗塞にしてはとても軽かったんだろうと思う。
ある夜母がなんかムカムカすると言った時、病院に行こうと説いても本人は寝てれば治ると言うし、呂律が回らないわけでもどこかに麻痺があるわけでもなかったから、私も本人も脳梗塞になったことにすら気付かなかった。
すぐに救急車を呼んでいれば、薬で治療が可能だったのかもしれないのに。
それからの状態はというと、3日ばかりご飯はまったく食べなかったがトイレには立ち上がって壁伝いに1人で行くことができ、ポカリやメイバランスやエンシュアは口にしていた。
4日目には少量ながらお粥やおじやを食べ出して、7日目には寝ながらテレビを観たりできるようになった。
まだ起き上がるとフラフラして吐きそうとは言っていたものの、ご飯は「少量の白飯にみそ汁におかず」を食卓について食べ、食べ終わったらまた横になる。
それから少しずつ御飯の量も増えて、身体を起こしている時間が長くなり、2週間でほぼ平常営業になった。
その間もちろん元気はなかったが普通に喋っていたし、片側だけが不自由ということもなかった。
私に「脳に問題=左右の感覚のズレ」という思い込みがあったばっかりに、よもや脳梗塞とも思いもせずに、ウィルス性のものだったのかなと考えていた。
身体や言語に特段変わった様子はなかったものの、何カ月かしてから、鍋を焦がしても焦げた匂いに気付かないとか、トイレの電気の消し忘れ率が8割超えるとか、人と話しているときに頻りにこちらを振り返る(助けを求める感じ)とか、小さな「ん?」が積み重なってきた。
そこで初めてかかりつけ医を受診し、都立病院を紹介されてMRIを撮ったことで脳梗塞の痕があることが判明したのだ。
それから暫くは大人しく都立病院の脳外科に通院していたが、よくしてくれていた主治医の移動と私の乳がんが重なってからは、かかりつけ医にしか行かなくなってしまった。
更には私が化学療法の副作用で心筋症になったりも続いたし、もしかしたら母にも抗がん剤の影響を与えたかも知れないし、不安にならざるを得ない日々はおそらく母の血圧も乱高下させただろう。
認知症も早期に発見すれば、現状を維持したり進行を遅くしたりできる薬もある。
壊れた機能は元には戻らないと言われるが、私の高次脳機能障害のように壊れていない部分で壊れたところをカバーできることもあるはずだ。
市や区には当人を連れて行かなくても家族だけで相談に乗ってくれる窓口もある。
ぜひぜひ「ん?」と思われることがあれば、なだめすかして脳の専門医師を受診していただきたい。
慌てて撮るからいつもピンボケ(つ∀<。)
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