昨日8月16日は、屁散人の脳卒中記念日。

5年前(2,018年・平成30年)のこの日、横浜市野毛の「M」という飲み屋の2階で句会をやっていた。

句会の終りころ、21時ころだったか、何となく体が変な気がした。

あまり記憶にないのだが、顔を始めとし右半身が痺れだしたらしい。

後に聞いたところによれば、左手でしきりに右手をもんでいたという。

階段をよろよろと降り、店を出た時は家に帰るつもりだった。

が、足腰がくだけたようで歩けず、すぐにそれは無理なことが分かった。

句会仲間の珍辰が近くの救急医療センターに先に駆け込む。

ジュエリ、D腸にがっしりと腕を抱えられて、センターに入る。

待合室の椅子にもたれて1時間近くも待たされただろうか、応急処置をしてくれるのかと思ったが、磯子の「横浜市立脳卒中・神経脊椎センター」へ行ってくれとのことだった。

D腸、ジュエリ、珍辰が明日も仕事なのにもかかわらず、夜遅くタクシーで運び入れてくれた。

当日のその後のことはほとんど覚えてない。

点滴治療だけで、手術はせずにすんだ。

結果は、

   「視床出血」

CT写真を見ると、小豆大の黒い穴が開いている。

右半身の痺れ、痛み、冷感、感覚鈍麻、それに四分盲(両目の右下の視野欠損)等が後遺症として残った。

足裏の感覚も鈍くなり、風呂場の硬いタイルの上を歩いても、まるで絨毯の上を歩くようにふわふわとした厚みを感じる。

人間の体って不思議だなぁ、と思う。

たった5,6ミリの小さな脳の穴によって、人生をまったく違う方向へ向けてしまうのだから。

母親の胎内で動き始めた自分の心臓が、未だに動き続けていることも、不思議だなぁと思いながら、何とかかんとか5年目を迎えることが出来た。

 





句帳の左ページが入院の夜、日付が変わってから書いたもの。
どの部屋でどうやって書いたのだろう。
繋がれた計器がピカピカ光っていたのを何となく覚えている。
読みづらいが、解読すると以下の通り。

  8/17
   計測器のてんめつ夜中秋あつし
    ちちろの夜
  8/17
   病室の窓に初秋の樹が歌ふ
   点滴の二本に増えて秋高し
    M・ひと ふ17・45帰 目を寄るとよい