2005・4・23

遅ればせながら、映画「アイアムサム」を見ました。知的障害のある父親が何とか自分の手で娘を育てようとする映画です。里親のもとへ連れて行かれそうになる子どもを、女性敏腕弁護士の力を借りて、取り戻そうとします。
主人公のサムは7歳並みの知的レベル。簡単な仕事しかできず、お金もありません。でも、子どもへの愛は誰にも負けません。娘も、だれよりもお父さんのことを愛しています。二人で一緒にいるときが、二人にとって最高に幸せなときです。
一方、女性弁護士の方は、かなりのやり手。頭も良い、お金もある、豪邸暮らし。いつも立派なオフィスで、お金持ちのクライアントを相手に、忙しく働いています。その彼女が、ひょうんなことからサムの弁護を無料で引き受けることになってしまいます。
子どもを取り戻す裁判はなかなか思うようにはいきません。いつもは温厚でやさしいサムも、とうとうかんしゃくを起こして、弁護士さんにどなってしまいます。
「あなたのような(頭の良い上流階級の)人に、思い通りにならない僕の気持ちはわからない!」
そう言われた弁護士さんは、涙を流しながら答えます。
「あなたのような」というこの私は、夫に浮気をされ、息子は少しも私の話を聞いてくれず、私は息子をヒステリックに怒鳴り散らす。そして、毎日「自分はだめな人間だ」と自分を責めているのよ、と。

先日見たテレビ番組の中で、「うつ度チェック」をやっていました。質問の中に、「自分はだめな人間だと思うことがある」という問いがありました。スタジオで回答しているのは、有名タレントのみなさんです。毒舌で売れているお笑いタレントさんもいます。でも、その人たちが、「自分はだめな人間だと思うことがある」と答えていました。

私が仕事で関わった方々の中には、お金がない、頭が良くない、健康でない、だから、自分は苦労している、不幸だと思っている人たちがいます。たしかに、大変なご苦労をされている方々がいます(その状況で、生き生きと幸せに生活している人もいますが)。
苦しいのは確かにそうかもしれません。大きな問題も抱えているでしょう。自分は社会的弱者だと自ら言われる方も居ます。不幸だと感じているのも確かにそうかもしれません。たしかに、これといった障害を持っていない人には理解できない苦しみもあるのでしょう。

でも、苦しいのは自分だけだというのは、少し違うのかもしれません。

私は豪邸に住んでいるわけでもなく、特別な能力の持ち主でもありませんが、有資格者、若いのに車も家も持ってるということだけで、幸せな人間だと誤解されてしまうこともあります(それなりの対価は払っているのにね)。
確かに、私は障害者手帳も持っていませんし、生活保護も受けてはいませんが、患者さんから「あなたのような(幸せそうな)人間に私の苦しみなんかわからない!」そんなふうに断言されてしまうこともありました。
「あなたのような人間」というのは、いったいどのような人間をイメージしているのだろうと、考えてしまいます。アイアムサムの弁護士のように、あなたこそ私の何を知ってるの?と。

性別が違う、年齢が違う、収入額が違う、健康の程度が違う、仕事が違う、経歴が違う、家族や親戚が違う。だから、お前に私の気持ちがわかるものか!そう言いたくなるときはあるでしょうが、それでも、人間はお互いに相手にわかってもらおうと努力していきたいと思うのです。お互いに、なかなか人のことはわからない、でもだからこそ、お互いに共感し理解し合おうと思うわけです。

確かに、自分が経験していないことは良くわからないかもしれません。でも、あなたに私の気持ちなんかわからない」と言い切ってしまうと、その先進まなくなるかなあと思います。
それともう一つ大事な事、「私の気持ちがわかるものか」と叫びたくなる気持ちも、理解しないといけないとも思ってますけどね。