📩◾️『ブッダが考えたこと-----仏教のはじまりを読む』(宮元啓一/角川ソフィア文庫)


  ▪️《インドでは、輪廻思想は、唯物論を除いて、すべての宗教思想、哲学が前提とする考え方である。仏教もその例外ではない。》


  《輪廻転生、生類は死んでは何かに生まれ変わり、また死んではまた何かに生まれ変わるということを、放って置けば永遠に繰り返すのだという死生観は、枯れた(死んだ)穀類が残した種からまた季節が巡れば新しく芽が出る(「一粒の麦もし死なずば」)という実体験を切実に生きる農耕民族が抱いて不思議のない死生観である。》


  ・「古ウパニシャッド」では、輪廻説が次のように描かれている。原文の引用の後で、「五火説」を著者がまとめてこう述べる。

  《(これを)要約すれば、死んで火葬に付された者は、いったんソーマ王(つまり月)へと赴き、雨となって地上に降り、植物に吸収されて穀物などといった食物となり、それを食べた男の精子となり、女の胎内に注ぎ込まれて胎児となり、かくしてまたこの世に誕生するというサイクルで輪廻するいうことを述べているのである。》

  この後に、「二道説」が出てくる。つまり、神々の道〔火葬の焔---昼---満ちていく半月---太陽---やがてブラフマン[梵]に至る〕と、祖霊たちの道〔火葬の煙---夜---後の半月---虚空---ソーマ王(先の「五火説」に出てくる)---やがてこの世に生まれるという輪廻の繰り返し〕との二つの道に分かれるという。神々の道は解脱の道であり、祖霊たちの道は輪廻の道である。つまり、輪廻の道を考えるということは、とりもなおさず解脱の道を考えるということでもあった。


  《以上の最初期の輪廻説が、後の天道・人間道・阿修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道を数える六道(あるいは阿修羅なる生き物を除いた五趣)輪廻説へと、どのように変遷していったのかはよく分かっていない。》

  

  *いずれにしても、釈迦が登場する前から、インドには輪廻と解脱の思想があったということなのだ。もちろん釈迦もそういう土壌から生まれたのだった。




(この項続く)🌸

🥀▪️【Thanks for reading.】🦜