📩◾️『魂の秘境から』(石牟礼道子/朝日新聞出版)



  ▪️さて、二人を乗せた舟🚣🏽は、今、南へ、南へ、月明かりの中を、🌊海の方へと向かってゆっくりと川を下って流れている。なんとかして、二人を救い出さなければならない(方策は考慮中)が、まだ一時の猶予はあるだろう。そこで、少し道草を喰うことにする。


  "a skeleton  in the closet "と英語で言う。「クロゼットの中の骸骨」、どの家にもクロゼット(押入れ)があり、その中に一体の骸骨が隠されている、と言うのだ。転じて、「他人に知られたくない家庭の事情[秘密];隠蔽すべき恥ずかしい過去」を意味する。


   父のskeleton とは何だったのか?

  思い当たることがある。もちろん父自身はそれを一切口にしなかった。おくびにも出さなかった。少なくとも、わたしには。

  わたしの小学5、6年生の頃だったと思う。水屋の前の小さな庭にある躑躅の木の周りで草むしりをしていた。祖母の手伝いをしていたのだ。

  ふっと、挨拶をするように、何気ない調子で、祖母が傍らのわたしに言った。

  「おまはんの父ちゃんなあ、若い頃に、あたま、おかしゅうなってまってなあ、しばらくのあいだ、ボーっとしとったことがあってなあ」

  わたしは大して気にも留めなかったと思う。誰でもボーっとすることくらいはあるだろう、とでも思ったのだろう。そもそも、そんなことをまじめに考えたこともなかったし、現に、父は今、毎朝、早く起き、自転車に乗って🚲職場に通っている。それに、順調に出世らしきこともしているじゃないか、先日の夕方など、課長補佐になったぞ、と帰宅するなり、大声でみんなに伝えて、こころからの笑顔を見せた。そんな父なんだから、と。

  さらに、何で今、ここで、祖母はそれを言うのか、疑問に思ったのもホントだ。やはり、少しは気になったのかも知れない。

  我が息子の、余り褒められたことでもない、他人に誇らしく伝えることではさらにないことを、どうして孫に伝える必要があるのだろう。「三つ子の魂」というから、この先、似たような事態になるかも知れん、そのときは、おまはんが、あんばいよう、対処してくれなあ、とでも言いたかったのか。

  のちに、もう一人、父のこのことをわたしは、父の妹、わたしの叔母のキヨコさんから聞いた。学生の頃、お盆で帰省した。毎年、お墓参りの後、家の仏壇に経を挙げたあとで、親戚連中が集まり食事を共にする。子どもも入れて、総勢12、3人程が集まった。

  座がお開きとなり、皆が帰り支度を始めた頃、キヨコさんが、周りに人がいなくなるのを待っていたかのように、座卓にわたしと二人だけになったときに言った。

  「兄さんなあ、あそこの玄関の門のとこで、ボーっと突っ立っとんのよ、もう、それこそ、何時間でもなあ。みんな、心配してなあ、それで、入院させたんやよ、3ヵ月くらいやったろうかなあ」

  入院は、初耳であった。

  現在では、心療内科などという名称で、皆、こころの風邪を引いた程度のつもりで、医院の敷居も低くなった感があるのだが、当時は精神病院に入院することには、大変な抵抗、屈託があったであろう。


  そこで、その原因であるが、これも思い当たることがある。ただし確証というものがある訳ではない。わたしが勝手にそう思って、納得しているだけなのだが。


(続く)🌊

▪️🦚【Thanks for reading.】🐟