📩◾️『非常時のことば-----震災の後で』(高橋源一郎/朝日文庫)
▪️坂上ゆきさん、大正3(1914)年12月1日生まれ。昭和30(1955)年5月10日、発病。40歳。
《「水俣市立病院水俣病特別病棟X号室・入院時所見。
手、口唇、口囲の痺れ感、震顫、言語障碍、言語は著明な断綴性蹉跌性を示す。歩行障碍、狂躁状態。骨格栄養共に中等度、生来頑健にして著患を知らない。顔貌は無慾状であるが、絶えずAthetosis 様Chorea(舞踊病)運動を繰り返し、視野の狭窄があり、正面は見えるが側面は見えない。知覚障碍として触覚、痛覚の鈍麻がある」
これもまた、大切な記録であることは、言うまでもない。世界は、あるいは、社会は、このようなことばを、必要としている。間違っているものを正し、少しでも、この世界を良くするために、このような記録を残さねばならないのである。
だが、とぼくは思う。
このことばで何がわかるのだろう。結局のところ、なにも、わかりはしないのではないだろうか。
そのような疑問に苛まれながら、しかし、たいていの場合、ぼくたちは、「非常時」と言い「異様な事件」と言い「現代に生きる我々すべてにとって見過ごすことのできぬ問題」と言って、結局のところ、そんなことばのあたりで、このような説明で、誰にでも理解できる、つまり、意味の曖昧な文学的な表現とは異なった表現、そんなことばで満足して引き下がるのである。》
▪️ゆきさんのことば
《「晩にいちばん想うことは、やっぱり海の上のことじゃった。海の上はいちばんよかった。
春から夏になれば海の中にもいろいろ花の咲く。うちたちの海はどんなにきれいかりよったな。
海の中にも名所のあっとばい。『茶碗が鼻』に『はだか瀬』に『くろの瀬』『ししの島』。
ぐるっとまわればうちたちのなれた鼻でも、夏に入りかけの海は磯の香りのむんむんする。会社の臭いとはちがうばい。
海の水も流れよる。ふじ壺じゃの、いそぎんちゃくじゃの、海松(みる)じゃの、水のそろそろと流れてゆく先ざきに、いっぱい花をつけてゆれよるるよ。
わけても魚どんがうつくしか。いそぎんちゃくは菊の花の満開のごたる。海松は海の中の崖のとっかかりに、枝ぶりのよかとの段々をつくっとる。
ひじきは雪やなぎの花の枝のごとしとる。藻は竹の林のごたる。
海の底の景色も陸(おか)の上とおんなじに、春も秋も夏も冬もあっとばい。うちゃ、きっと海の底には龍宮のあるとおもうとる。夢んごてうつくしかもね。海に飽くちゅうこた、決してなかりよった。
どのようにこまんか島でも、島の根つけに岩の中から清水の湧く割れ目の必ずある。そのような真水と、海のつよい潮のまじる所の岩に、うつくしかあおさの、春にさきがけて付く。磯の香りのなかでも、春の色濃くなったあおさが、岩の上で、潮の干いたあとの陽にあぶられる匂いは、ほんになつかしか。
そんな日なたくさいあおさを、ぱりぱり剝(は)いで、あおさの下についとる牡蠣を剝いで帰って、そのようなだしで、うすい醤油の、熱いおつゆば吸うてごらんよ。都の衆たちにゃとてもわからん栄華ばい。あおさの汁をふうふういうて、舌をやくごとすすらんことには春はこん。
自分の体に2本の足がちゃんとついて、その2本の足でちゃんと体を支えて踏んばって立って、自分の体に2本の腕のついとって、その自分の腕で櫓を漕いで、あおさをとりに行こうごたるばい。うちゃ泣こうごたる。もういっぺん-----行こうごたる、海に。
(中略)
人間な死ねばまた人間に生まれてくっとじゃろうか。うちゃやっぱり、ほかのもんに生まれ替わらず、人間に生まれ替わってきたがよか。うちゃもういっぺん、じいちゃんと船で海にゆこうごたる。うちがワキ櫓ば漕いで、じいちゃんがトモ櫓ば漕いで二丁櫓で。漁師の嫁御になって天草から渡ってきたんじゃもん。
うちゃぼんのうの深かけんもういっぺんきっと人間に生まれ替わってくる」》
*海の豊かさを語るゆきさんのことばの、なんと生き生きとしていることか。漁師としての矜持が溢れています。それだからこそますます、「自分の体に2本の足が〜、自分の体に2本の腕の〜」と対句を繰り返し、さらに、「その2本の足で〜、その2本の腕の〜」と、“その”という指示語を使って、自分の手足であることを強調、確認せずにはいられない切なる願いが、痛いほどです。
あおさをとりに行きたい。うちは泣きたい。もういっぺん、行きたい、海に、と願うゆきさん。
生まれ替わっても人間がいい、じいちゃんともういっぺん、二丁櫓を漕いで海に行きたい。
さらに、自分を、煩悩の深い、と言う。
ゆきさんの見た海が「龍宮」ではなかったか。
いや、源一郎さんの言う通り、
《説明など、いらないのではないだろうか》。
(この項続く)🌲
▪️🍃【Thanks for reading.】🦜