📩◾️『「量子論」を楽しむ本』(佐藤勝彦 監修/PHP文庫)


  《ボーアは(中略)原子が放つ光の振動数について、次のような関係が成り立つと唱えました。

  「電子が外側の軌道から内側の軌道に移ったとき、電子が放つ光の振動数ν(ニュー)は電子がそれぞれの軌道にいたときのエネルギーの差を、プランク定数hで割ったものになる」

  これをボーアの振動数条件と呼び、式で表すと次のようになります。

  (中略)

  バルマー系列(前項Dで触れた)とは、水素原子中の電子がn=2よりも外側の軌道からn=2の軌道に遷移するときに放つ光を意味していたことがわかります。そして一般的に、水素原子中の電子がn=aの軌道からn=bの軌道(a、bは整数、a>b)へ遷移したときに、水素原子は電磁波を放出します。ただしn=2以外の軌道へ遷移するときに電子が放つ電磁波は、赤外線や紫外線になるために、肉眼では見ることができません。》


  《ボーアの理論は「前期量子論」と呼ばれています。前期ということはまだ道半ば、中途半端な理論であることを表しています。ボーアの理論は快刀乱麻を断つごとく、原子の構造に関するあらゆる問題を解決したかのように思われたかもしれませんが、実はこの理論は欠陥だらけなのです。

  ボーア理論の欠陥の一つは、「量子条件」などの仮定を何の根拠もなく持ち出して勝手に使用している点です。たとえば「決められた軌道を回る(つまり定常状態の)電子はなぜ光を出さないのか」を、ボーアは一切説明していません。従来の物理学では「回転する電子は光を放つ」というのが常識であり、この点がラザフォードの原子模型の欠陥とされたわけです。それなのにボーアは欠陥を無視し、むしろ「逆が正しいんだ」と言っているわけですから、これほど身勝手な理屈はないでしょう。

  もう一つ大きな欠陥は、ボーアの原子模型は、実は水素原子にしか成り立たないという点です。たとえば水素原子の次に軽く、電子を2個持つヘリウム原子が放つ線スペクトルは、ボーアの理論では説明できませんでした。後からわかったのですが、水素原子は電子を1個しか持たない非常に簡単な構造であったために、たまたまボーアの理論がうまく当てはまっただけだったのです。

  こう聞くと皆さんは「何だ、ボーアの業績は大したことないな」と思われるかもしれませんが、それは間違いです。確かにボーアの理論はまだ不完全なものでした。しかし原子の中に「量子」(=ひと固まりとして考えられる小さな単位量)の概念を初めて持ち込んだ点で、また後進の若い物理学者たちが複数の電子を持つ原子についても当てはまる原子モデルを確立し、量子論を完成させる上で、ボーアの理論はまさに画期的なステップでした。従来の古典物理学と真の量子物理学をつなぐ「橋渡し」、それがボーアの前期量子論だったわけです。》


  《ボーアが「ボーアの原子模型」を提唱したのは、彼が27歳のときでした。またボーアの理論を整備して、量子論(後期量子論)を完成させたボーアの弟子たちはみな20〜30歳代の若者たちでした。さらに加えてアインシュタインが最初の相対性理論である特殊相対性理論を発表したのは26歳のときでした。

  天才と呼ばれる人々は、若くして偉大な業績を残すケースが多いわけですが、量子論や相対性理論の誕生はまさにその典型だと言えます。そしてまた、従来の「常識」が行き詰まったとき、それを打ち破るのは常識にとらわれない若い頭脳であることも、この事例は教えてくれます。「回転運動をする電子は光を出す」という古典物理学の常識にとらわれた、年輩の物理学者の脳からは「原子の中の電子については、そんな常識は無視してしまえ」などというボーアの無謀な発想は、絶対に出てくるはずがないでしょうから。》


  《(さて、次には)革命的ではありますが、まだまだ欠陥の多いボーアの理論を完成させるために、いくつもの若き天才頭脳が活躍します。(中略)ということはつまり、よりいっそう常識外れの、私たちを呆然とさせてしまう奇妙なアイディアが次々と登場してくるわけです。》



*なるほど、確かに、難局を切り開くブレイクスルーは、いつも無謀ともいえる若者の冒険心から生まれるものかもしれない。

  “呆然としてしまうような奇妙な”アイディアとは、一体どんなものなんだろう?もう少し、追いかけていってみようと思います。



(この項続く)🌲

▪️【Thanks for reading.】💐🎻