📩◾️『夫・車谷長吉』(高橋順子・文春文庫)

  〈生前の遺稿〉のつもりで書いた一冊、『鹽壺の匙』が三島由紀夫賞を受賞した後、長吉は京都の大徳寺へ行って出家するつもりでいた。
  ある心の揺れ動きののちに、すでに知り合っていた順子は手紙を書いた。
  「この期におよんで、あなたのことを好きになってしまいました」と。長吉のふところに飛び込むのは怖かった。が、「窮鳥ふところに入れば猟師もこれを捕らず」ということわざがあるではないか、と。
  長吉は応える。
  「お手紙、ありがとうございます。(略)こなな愚か者の男に、思いを寄せて下さるなど、こればかりはまぼろしにも思い描くことが出来ないことでした。もし、こなな男でよければ、どうかこの世のみちづれにして下され。お願いいたします。私はいま、このように記し了えて、慄えております。」
  「この世のみちづれにして下され」ということばは長く順子の胸に鳴っていた。まもなく、2人の生活が千駄木のむじな坂を上った路地の木造2階建ての借家から始まった。
  
  順子は長吉の狂気と付き合うこととなる。しかし、“離婚”という語は決して使わないと決めていた。使えば、あっさり離婚に至ると分かっていた。

  そんななか、長吉が文字通り自分の身を削るようにして生みだした作品が『赤目四十八瀧心中未遂』であった。この傑作は直木賞を受賞した。

  文学の鬼とも虫とも言って良い2人の痛烈な、尋常ならざる愛が心に染みる。

  この本は長吉との共著だと思っている、と著者は述べる。