METAL FILE第2弾は、METALLICAです!
僕のメタリカ歴はおそらく10年くらい・・。
メタルにハマりだして、メタリカの「ロード」「リロード」を聴いてガッカリしたのが
第1印象です。
今では好きなアルバムですけどね。
当時はスピード感に飢えてましたから。
では、メタリカ情報を。
1981年10月、ラーズ・ウルリッヒがジェームズ・ヘットフィールドを誘う形でメタリカが結成される。
1982年、アメリカのインディーズ・ヘヴィメタル・レーベル「メタル・ブレイド・レコーズ」で製作されていたコンピレーションアルバムの第一弾『メタル・マサカー - Metal Massacre - 』に提供するために「ヒット・ザ・ライツ - Hit The Lights - 」をレコーディング、その直後にデイヴ・ムステインが加入する。
6月、『メタル・マサカー1 - Metal Massacre 1 - 』がリリースされる。
数ヶ月後、オリジナル7曲入りのデモテープ『ノー・ライフ・ティル・レザー - No Life 'Till Leather - 』を制作する。
デイヴと他メンバー間の衝突は、ロン・マクガヴニーの脱退を引き起こし、バンドは新たなベーシストを探すこととなる。
12月、新ベーシストとしてクリフ・バートンが加入。
1983年2月にサンフランシスコに拠点を移す。
4月にデイヴ・ムステインが解雇され、エクソダスのギタリストであったカーク・ハメットが加入する。この際、既に日本でデビューしていたLOUDNESSのギター、高崎晃へ加入のオファーがあったことが後に明らかになった。実際はメタリカのメンバーからの誘いではなくメタリカ側のスタッフからのオファーであったとされている。
7月にインディーズ・レーベルメガフォースより1stアルバム『血染めの鉄槌(キル・エム・オール) - Kill 'em All - 』でデビュー。
1984年初頭、ヴェノムのサポートとしてヨーロッパツアーを行う。
6月に2ndアルバム『ライド・ザ・ライトニング - Ride The Lightning - 』発表、年末より大規模な欧米ツアーを敢行。メジャー・レーベルエレクトラとの契約を獲得し、Qプライムとマネージメント契約を締結。
1985年8月、イギリス・ドニントンパークで開催されたモンスターズ・オブ・ロックに出演。
1986年3月、3rdアルバム『メタル・マスター - Master Of Puppets - 』発表(メジャーデビュー)、ビルボード29位にランクイン。50万枚以上の売り上げを記録し、メタリカ初のゴールド・ディスクを獲得する。
ダメージ・インク・ツアーでヨーロッパ巡業中の9月27日、スウェーデンでメンバーの乗ったバスのスリップ事故により,ベーシストのクリフ・バートンがバスの下敷きになり死亡。9月27日以降のツアーを急遽キャンセルしたメンバーは翌28日にアメリカに帰国、10月7日の葬儀参列後、後任ベーシストのオーディションを行い、元フロットサム・アンド・ジェットサムのジェイソン・ニューステッドがメタリカに迎えられる。
1987年8月、初期のカヴァー曲をレコーディングした『メタル・ガレージ - The $5.98 E.P. Garage Days Re-Revisited - 』(EP)を発表。一時期は入手困難のため、かなりの高額で取引されていた。
1988年9月、4thアルバム『メタル・ジャスティス - ...And Justice For All - 』発表。ベースの音が聞こえない、ドラムの音が電子音の様に聞こえることで物議を醸したが、「ワン - One - 」を収録し、初のプロモーション・ビデオも発売されビッグ・バンドの地位を築き始めた事も事実である。プロモーションビデオは名作映画『ジョニーは戦場へ行った』(1971年発表)の映像がコラボレートされ、ジャスティスツアーのライブセットではCDジャケットの石像が崩れ落ちる大仕掛けなものであった。
1989年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門に「ワン - One - 」がノミネートされたものの、受賞は逃す。(受賞したのはジェスロ・タル)
1990年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門で「ワン - One - 」が受賞。グラミー賞会場はタキシードあるいはフォーマルスーツが恒例で、そんな中メタリカは例のいつものブラックジーンズ姿といういでたちでさっそうと登場。この事はグラミー賞の歴史上、異例のことであった。
10月より、アルバム制作にとりかかる。
1991年8月、5thアルバム『メタリカ - Metallica - 』(通称ブラック・アルバム)を発表、全米初登場1位を獲得する(以後4週連続1位)。全世界で2000万枚を超える大ヒットを飛ばす。3年に亘る長期間のワールドツアーを終えた後、暫く休養期間に入る。
1996年6月、6thアルバム『ロード - Load - 』を発売し、全英・全米1位を記録。
1997年11月、7thアルバム『リロード - Reload - 』発表、全米1位を獲得するものの、2作続けて同等の路線にスレイヤーは「メタリカは死んだ」と発言。ただし収録曲のほとんどが『Load』製作時の楽曲であり、『Load』に収録しきれなかった楽曲である。(2枚組で発売する案もあったが見送られた。)
1998年11月、カヴァー曲を集めたアルバム『ガレージ・インク - Garage Inc. - 』発表。
1999年11月、メタリカ本拠地のオーケストラ、サンフランシスコ交響楽団との競演ライヴアルバム『シンフォニー&メタリカ - S&M - 』発表。
2000年4月、ナップスターを相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こす。
2001年1月、ジェイソン・Ballsニューステッドが脱退。
2003年2月、新ベーシストとして元スイサイダル・テンデンシーズ~オジー・オズボーンバンドのロバート・トゥルージロが加入(ちなみに同年、元ベーシストのジェイソン・ニューステッドがオジー・オズボーンバンドに参加)。
6月、8thアルバム『セイント・アンガー - St. Anger - 』発表。来日公演ではツアー前にキャンセル誤報があったものの、大成功を収めた。ロバートがオーディションにより加入したのは、このアルバムがほぼ完成した後(アルバムは発売前)であり、MTVアイコン・アウォードを受賞する際にある意味サプライズ的に加入が公表された。このアルバムでベースを弾いているのは、プロデューサーのボブ・ロックである。ボブは、『ブラック・アルバム』から4作品連続でプロデュースしている。
2004年、8thアルバム『セイント・アンガー』が完成するまでの3年間に密着した(1600時間もの膨大なテープを編集した)映画『メタリカ:真実の瞬間- Some Kind Of Monster -』が製作され、日本では2005年7月より限られた劇場でのみ上映された。
2006年8月、千葉と大阪で行なわれたサマー・ソニック'06へ参加。アルバム『メタル・マスター - Master Of Puppets - 』の発表から20周年を迎えるこの年を記念して、アルバム全曲を曲順通りに演奏した。演奏終了時にヴォーカルのジェームズ・ヘットフィールドは「Master Of Puppets! Happy 20years anniversary!」と咆哮、モニタ画面には故クリフ・バートンの遺影が映しだされた。
2006年12月、1989年から2004年までの間にリリースされた21曲のPVを収録したDVD、「ザ・ビデオズ 1989-2004」を発表。ビルボードビデオチャート3位を獲得。
2008年9月、9thアルバム 「デス・マグネティック - Death Magnetic - 」発表。前作まで担当したボブ・ロックに変えてリック・ルービンを新たにプロデューサーに起用して制作された。世界25ヶ国でアルバムチャート1位、オリコン初登場3位を獲得。
2009年4月4日、オハイオ州クリーブランドでの授賞式にてロックの殿堂入りを果たした。セレモニーでのライブでは、2001年に脱退したジェイソン・ニューステッドも参加して「Master Of Puppets」、「Enter Sandman」の2曲が演奏された。さらに初代ベーシストであるロン・マクガヴニーと、1986年にツアー中の事故で亡くなった2代目ベーシスト、クリフ・バートンの父親も授賞式に招待された。元リードギタリストであり現在はメガデスで活動するデイヴ・ムステインはジューダス・プリーストとのヨーロッパツアーに帯同しており参加できなかったが、受賞を祝福する声明が発表された。
(wiki調べ)
これに付け加えるなら、BIG4(メガデス、スレイヤー、アンスラックス、そして、メタリカのスラッシュメタルバンド4強)のライブ、史上最大のステージセットのワールドツアーが予定されている。
しかし、両方とも、日本公演は予定なし。
今月号のBURRNでスレイヤーのケリー・キングが前向きに2011年の初めくらいには日本に行くかも・・(BIG4で)、と言ってもらえたけど、どうなることやら・・。
大好きすぎるので、メタリカとの思い出を・・。
映画「SOME KIND OF MONSTER」は関係者として、マスコミ用試写会で観ました。
およそ、3時間の長尺で疲れましたが、「ST.ANGER」を作るまでに、メンバーに何が起こったのかが
観れて良い映画でした。ロックスターも僕らと同じように苦しみ、悩んでいるというのが、わかる作品。
初ライブはサマソニでの「メタルマスター」全曲演奏のライブでした。
やたらと、1個前の出番だったDEFTONESが異常に長く感じたのを覚えてます。
DEFTONESが終わって、最前で待つこと(しかも雨・・)40分。
ついに、「ECSTASY OF GOLD」が流れてライブスタート!
ライブが進み、「メタルマスター」全曲再現の前のナレーションは感動しました。
でも、ナレーションから「BATTERY」までの時間が長かったのは気になったけど。
では、僕のアルバムランキングを・・・。
ライド・ザ・ライトニング/メタリカ

¥1,850
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いろいろリリースがある中で、この「ライド・ザ・ライトニング」が僕の一位。
やはり「FIGHT FIRE WITH FIRE」の衝撃はデカいっ!
さらに、「RIDE THE LIGHTNING」に続く展開はさすが!
ヘヴィな「FOR WHOM THE BELL TOLLS」のクリフのベースも凄い!まさか、ベースがイントロのメロディを弾くとは!?伝説のベースリフです!
そして、最強のメタルナンバー「CREEPING DEATH」も収録。ジェイソンがいた頃のライブテイクが一番好きだなぁ・・。最後のサビをジェイソンが歌うのがカッコいい!
続いて、、、
メタル・マスター/メタリカ

¥1,850
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2位は、名作「メタル・マスター」。
もうこれはメタラーなら必ず聴いておかないと、後でひどい目に合うくらいの名盤。
「BATTERY」「MASTER OF PUPPETS」など、名曲だらけの内容は、スラッシーな曲あり、
しっとりとした雰囲気からヘヴィなパートへ変わるドラマティックな曲もあるし、聴き所満載。
「DAMAGE,INC」のとどめの一撃!これは、どんなアルバムにも負けない最強の終わり方です。
デス・マグネティック~ストロング・エディション/メタリカ

¥2,800
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3位は最新作「デス・マグネティック」。
このアルバムは最高です!ですが、上の2作には適わなかった・・。
上の2作を越える決定的な曲が無かったんですねぇ・・。
しかし、「メタルマスター」を越える、とどめの一撃的な曲「MY APOCALYPSE」がありますね!
この激しさは、メタラーの心を大きく揺さぶりました。
「THAT WAS JUST YOUR LIFE」は素晴らしい出来!ようやく、メタリカは完全にメタルに帰ってきたか!
「THE END OF THE LINE」はアルバム発売前では「NEW SONG」として演奏されていましたが、
反応はいまひとつでした。
しかし、こうして、生まれ変わり、名曲の仲間入りをしました。
4、メタリカ
5、キル・エム・オール
6、セイント・アンガー
7、メタル・ジャスティス
8、ロード
9、リロード
メタリカよ!
日本にライブしに来てくれ~!!
DVDも日本盤は出す気無いし・・。
日本も捨てられたか・・??
でも、懲りずに来てくださいね。
なんか友達いない息子の母親が家に遊びに来た、息子の友達に言ってるみたいだな。
根はいい子なんですみたいな。
メタリカくん、クッキー焼いて待ってるよ(^O^)/
僕のメタリカ歴はおそらく10年くらい・・。
メタルにハマりだして、メタリカの「ロード」「リロード」を聴いてガッカリしたのが
第1印象です。
今では好きなアルバムですけどね。
当時はスピード感に飢えてましたから。
では、メタリカ情報を。
1981年10月、ラーズ・ウルリッヒがジェームズ・ヘットフィールドを誘う形でメタリカが結成される。
1982年、アメリカのインディーズ・ヘヴィメタル・レーベル「メタル・ブレイド・レコーズ」で製作されていたコンピレーションアルバムの第一弾『メタル・マサカー - Metal Massacre - 』に提供するために「ヒット・ザ・ライツ - Hit The Lights - 」をレコーディング、その直後にデイヴ・ムステインが加入する。
6月、『メタル・マサカー1 - Metal Massacre 1 - 』がリリースされる。
数ヶ月後、オリジナル7曲入りのデモテープ『ノー・ライフ・ティル・レザー - No Life 'Till Leather - 』を制作する。
デイヴと他メンバー間の衝突は、ロン・マクガヴニーの脱退を引き起こし、バンドは新たなベーシストを探すこととなる。
12月、新ベーシストとしてクリフ・バートンが加入。
1983年2月にサンフランシスコに拠点を移す。
4月にデイヴ・ムステインが解雇され、エクソダスのギタリストであったカーク・ハメットが加入する。この際、既に日本でデビューしていたLOUDNESSのギター、高崎晃へ加入のオファーがあったことが後に明らかになった。実際はメタリカのメンバーからの誘いではなくメタリカ側のスタッフからのオファーであったとされている。
7月にインディーズ・レーベルメガフォースより1stアルバム『血染めの鉄槌(キル・エム・オール) - Kill 'em All - 』でデビュー。
1984年初頭、ヴェノムのサポートとしてヨーロッパツアーを行う。
6月に2ndアルバム『ライド・ザ・ライトニング - Ride The Lightning - 』発表、年末より大規模な欧米ツアーを敢行。メジャー・レーベルエレクトラとの契約を獲得し、Qプライムとマネージメント契約を締結。
1985年8月、イギリス・ドニントンパークで開催されたモンスターズ・オブ・ロックに出演。
1986年3月、3rdアルバム『メタル・マスター - Master Of Puppets - 』発表(メジャーデビュー)、ビルボード29位にランクイン。50万枚以上の売り上げを記録し、メタリカ初のゴールド・ディスクを獲得する。
ダメージ・インク・ツアーでヨーロッパ巡業中の9月27日、スウェーデンでメンバーの乗ったバスのスリップ事故により,ベーシストのクリフ・バートンがバスの下敷きになり死亡。9月27日以降のツアーを急遽キャンセルしたメンバーは翌28日にアメリカに帰国、10月7日の葬儀参列後、後任ベーシストのオーディションを行い、元フロットサム・アンド・ジェットサムのジェイソン・ニューステッドがメタリカに迎えられる。
1987年8月、初期のカヴァー曲をレコーディングした『メタル・ガレージ - The $5.98 E.P. Garage Days Re-Revisited - 』(EP)を発表。一時期は入手困難のため、かなりの高額で取引されていた。
1988年9月、4thアルバム『メタル・ジャスティス - ...And Justice For All - 』発表。ベースの音が聞こえない、ドラムの音が電子音の様に聞こえることで物議を醸したが、「ワン - One - 」を収録し、初のプロモーション・ビデオも発売されビッグ・バンドの地位を築き始めた事も事実である。プロモーションビデオは名作映画『ジョニーは戦場へ行った』(1971年発表)の映像がコラボレートされ、ジャスティスツアーのライブセットではCDジャケットの石像が崩れ落ちる大仕掛けなものであった。
1989年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門に「ワン - One - 」がノミネートされたものの、受賞は逃す。(受賞したのはジェスロ・タル)
1990年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門で「ワン - One - 」が受賞。グラミー賞会場はタキシードあるいはフォーマルスーツが恒例で、そんな中メタリカは例のいつものブラックジーンズ姿といういでたちでさっそうと登場。この事はグラミー賞の歴史上、異例のことであった。
10月より、アルバム制作にとりかかる。
1991年8月、5thアルバム『メタリカ - Metallica - 』(通称ブラック・アルバム)を発表、全米初登場1位を獲得する(以後4週連続1位)。全世界で2000万枚を超える大ヒットを飛ばす。3年に亘る長期間のワールドツアーを終えた後、暫く休養期間に入る。
1996年6月、6thアルバム『ロード - Load - 』を発売し、全英・全米1位を記録。
1997年11月、7thアルバム『リロード - Reload - 』発表、全米1位を獲得するものの、2作続けて同等の路線にスレイヤーは「メタリカは死んだ」と発言。ただし収録曲のほとんどが『Load』製作時の楽曲であり、『Load』に収録しきれなかった楽曲である。(2枚組で発売する案もあったが見送られた。)
1998年11月、カヴァー曲を集めたアルバム『ガレージ・インク - Garage Inc. - 』発表。
1999年11月、メタリカ本拠地のオーケストラ、サンフランシスコ交響楽団との競演ライヴアルバム『シンフォニー&メタリカ - S&M - 』発表。
2000年4月、ナップスターを相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こす。
2001年1月、ジェイソン・Ballsニューステッドが脱退。
2003年2月、新ベーシストとして元スイサイダル・テンデンシーズ~オジー・オズボーンバンドのロバート・トゥルージロが加入(ちなみに同年、元ベーシストのジェイソン・ニューステッドがオジー・オズボーンバンドに参加)。
6月、8thアルバム『セイント・アンガー - St. Anger - 』発表。来日公演ではツアー前にキャンセル誤報があったものの、大成功を収めた。ロバートがオーディションにより加入したのは、このアルバムがほぼ完成した後(アルバムは発売前)であり、MTVアイコン・アウォードを受賞する際にある意味サプライズ的に加入が公表された。このアルバムでベースを弾いているのは、プロデューサーのボブ・ロックである。ボブは、『ブラック・アルバム』から4作品連続でプロデュースしている。
2004年、8thアルバム『セイント・アンガー』が完成するまでの3年間に密着した(1600時間もの膨大なテープを編集した)映画『メタリカ:真実の瞬間- Some Kind Of Monster -』が製作され、日本では2005年7月より限られた劇場でのみ上映された。
2006年8月、千葉と大阪で行なわれたサマー・ソニック'06へ参加。アルバム『メタル・マスター - Master Of Puppets - 』の発表から20周年を迎えるこの年を記念して、アルバム全曲を曲順通りに演奏した。演奏終了時にヴォーカルのジェームズ・ヘットフィールドは「Master Of Puppets! Happy 20years anniversary!」と咆哮、モニタ画面には故クリフ・バートンの遺影が映しだされた。
2006年12月、1989年から2004年までの間にリリースされた21曲のPVを収録したDVD、「ザ・ビデオズ 1989-2004」を発表。ビルボードビデオチャート3位を獲得。
2008年9月、9thアルバム 「デス・マグネティック - Death Magnetic - 」発表。前作まで担当したボブ・ロックに変えてリック・ルービンを新たにプロデューサーに起用して制作された。世界25ヶ国でアルバムチャート1位、オリコン初登場3位を獲得。
2009年4月4日、オハイオ州クリーブランドでの授賞式にてロックの殿堂入りを果たした。セレモニーでのライブでは、2001年に脱退したジェイソン・ニューステッドも参加して「Master Of Puppets」、「Enter Sandman」の2曲が演奏された。さらに初代ベーシストであるロン・マクガヴニーと、1986年にツアー中の事故で亡くなった2代目ベーシスト、クリフ・バートンの父親も授賞式に招待された。元リードギタリストであり現在はメガデスで活動するデイヴ・ムステインはジューダス・プリーストとのヨーロッパツアーに帯同しており参加できなかったが、受賞を祝福する声明が発表された。
(wiki調べ)
これに付け加えるなら、BIG4(メガデス、スレイヤー、アンスラックス、そして、メタリカのスラッシュメタルバンド4強)のライブ、史上最大のステージセットのワールドツアーが予定されている。
しかし、両方とも、日本公演は予定なし。
今月号のBURRNでスレイヤーのケリー・キングが前向きに2011年の初めくらいには日本に行くかも・・(BIG4で)、と言ってもらえたけど、どうなることやら・・。
大好きすぎるので、メタリカとの思い出を・・。
映画「SOME KIND OF MONSTER」は関係者として、マスコミ用試写会で観ました。
およそ、3時間の長尺で疲れましたが、「ST.ANGER」を作るまでに、メンバーに何が起こったのかが
観れて良い映画でした。ロックスターも僕らと同じように苦しみ、悩んでいるというのが、わかる作品。
初ライブはサマソニでの「メタルマスター」全曲演奏のライブでした。
やたらと、1個前の出番だったDEFTONESが異常に長く感じたのを覚えてます。
DEFTONESが終わって、最前で待つこと(しかも雨・・)40分。
ついに、「ECSTASY OF GOLD」が流れてライブスタート!
ライブが進み、「メタルマスター」全曲再現の前のナレーションは感動しました。
でも、ナレーションから「BATTERY」までの時間が長かったのは気になったけど。
では、僕のアルバムランキングを・・・。
ライド・ザ・ライトニング/メタリカ

¥1,850
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やはり「FIGHT FIRE WITH FIRE」の衝撃はデカいっ!
さらに、「RIDE THE LIGHTNING」に続く展開はさすが!
ヘヴィな「FOR WHOM THE BELL TOLLS」のクリフのベースも凄い!まさか、ベースがイントロのメロディを弾くとは!?伝説のベースリフです!
そして、最強のメタルナンバー「CREEPING DEATH」も収録。ジェイソンがいた頃のライブテイクが一番好きだなぁ・・。最後のサビをジェイソンが歌うのがカッコいい!
続いて、、、
メタル・マスター/メタリカ

¥1,850
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2位は、名作「メタル・マスター」。
もうこれはメタラーなら必ず聴いておかないと、後でひどい目に合うくらいの名盤。
「BATTERY」「MASTER OF PUPPETS」など、名曲だらけの内容は、スラッシーな曲あり、
しっとりとした雰囲気からヘヴィなパートへ変わるドラマティックな曲もあるし、聴き所満載。
「DAMAGE,INC」のとどめの一撃!これは、どんなアルバムにも負けない最強の終わり方です。
デス・マグネティック~ストロング・エディション/メタリカ

¥2,800
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3位は最新作「デス・マグネティック」。
このアルバムは最高です!ですが、上の2作には適わなかった・・。
上の2作を越える決定的な曲が無かったんですねぇ・・。
しかし、「メタルマスター」を越える、とどめの一撃的な曲「MY APOCALYPSE」がありますね!
この激しさは、メタラーの心を大きく揺さぶりました。
「THAT WAS JUST YOUR LIFE」は素晴らしい出来!ようやく、メタリカは完全にメタルに帰ってきたか!
「THE END OF THE LINE」はアルバム発売前では「NEW SONG」として演奏されていましたが、
反応はいまひとつでした。
しかし、こうして、生まれ変わり、名曲の仲間入りをしました。
4、メタリカ
5、キル・エム・オール
6、セイント・アンガー
7、メタル・ジャスティス
8、ロード
9、リロード
メタリカよ!
日本にライブしに来てくれ~!!
DVDも日本盤は出す気無いし・・。
日本も捨てられたか・・??
でも、懲りずに来てくださいね。
なんか友達いない息子の母親が家に遊びに来た、息子の友達に言ってるみたいだな。
根はいい子なんですみたいな。
メタリカくん、クッキー焼いて待ってるよ(^O^)/