この本もインターネットでミステリー小説を検索していて、どんでん返しがすごい作品と知り、購入しました。
表紙の盲目の少女からすでに妖しい雰囲気で、耽美な物語と紹介されていたので楽しみにして読みました。

 

読んだ感想は、想像していた展開より、はるかに斜め上を行く展開でビックリしました。

 

しかし物語の半ばのどんでん返しでビックリした後に、その後は物語はネタバラシに入り、ネタバラシを読んでいてだんだん冷静になり、読み終わった後は「なんかスケールの小さい話だったな~」と思ってしまいました。

 

だからといってつまらないわけではなく、とても面白かったです。

 

なにせここまで世界観が全くガラリと変わってしまうのですから。これは今まで読んだ中にはなかったと思います。
また怜を通して「目に見える光」よりも「闇の中で感じる光」の美しさを描いており、その点でも私が今まで読んだどの物語とも違いました。

 

しかも場所の世界観(舞台はヨーロッパだと思ったら日本だった)と主人公の大木怜の世界観(盲目の少女から視覚を取り戻した少年)の2つの世界観が見事に同時にひっくり返ったのですから。

 

 

読み始めの頃は舞台は中世ヨーロッパだと思っていました。読み進めていくと、兵士はレイアには分からない英語を話しているならレイアは何語を話しているんだと考えたとき、私は勝手に”兵士やダフネはイギリス人、王とレイアはフランス人”と思っていました。

 

 
しかし国籍がどこであったとしても、CDがあったりポケットの中のブザー(最初はポケベルと思ったが、後に携帯電話らしいと判る)があるので、時代が20世紀末か21世紀で舞台がヨーロッパならば、幽閉された王と王女とか国民の暴動などは明らかに時代が合わないと矛盾ばかりが気になりだしたら・・・実は日本が舞台だったんですね。
しかも誘拐事件の話だったとは!

 

物語の中で「レイア 一」と「レイア 二」は視覚を取り戻した後の怜の作品とのことですが、きっとこれが誘拐事件の真相なのだと思っています。

 

これが原口の言うように怜の想像の産物であったら悲しすぎます。

 

盲目から視覚を取り戻したと同時に女だと思っていたら実は男だったと判明した怜は、それは混乱したでしょう。

 

そして盲目の「闇」であった時のほうが光り輝いていて、「光」を取り戻した後のほうが闇に沈むという対比は考えさせられますね。

 

王と二人だけで、王女として音楽、物語、絵画などの芸術に囲まれた浮世離れした環境で育ったレイアだからこそ、『真に己の魂を振るわせる「美」であり、魂によって選び抜かれた「極上のもの」だった。闇の中に在って、世界はなんと美しく輝いていたことだろう』と哲学的に思考を重ねるようになり、現実の生活、とりわけ俗世の人間関係になじめず、怜には戻れなかったのではないでしょうか。

 

 

最後に本当にどうでもいいことですが、「大木 怜(おおき れい)」の読み方は「おお!キレイ!!」となり、怜は女と見紛うばかりの美少年かと思いきや、そんな記述は(たぶん)ないです。

 

6歳の時に「かわいいお嬢さん」と言われているが、子どもの女装は、まだ女の子っぽいくてかわいらしいと思うので当てにならず、王(原口)がレイア(怜)を美しいと言っていてもそれも当てにならなりません。

 

ところが原口は『聡明な美青年』や『かつて指で触れた繊細な、美しい顔・・』と記述があるので、むしろキレイなのは原口であり、名前を入れ替えたほうがいいだろうとツッコミを入れたくなりました。

 

 

(個人的感想)

 

面白さ            ☆☆☆
世界がひっくり返る    ☆☆☆☆☆
耽美な世界          ☆☆
原口までたどり着いた過程 ?????