職場の人とカバディの話で盛り上がった
(厳密にいうと、カバディの話を聞いてくれた、というのがその状況だろう)


東京を離れ、カバディをやる機会は格段に減ったものの、カバディへの気持ちは冷めていないんだなと、改めて感じさせられる


高校の教え子にカバディのルールを説明していると、食いついてくる生徒は少なからずいる。
泊りがけの合宿で砂浜カバディをやったこともあった。
本格的に広めることはできていないものの、私と接した人たちには確実にカバディを認知してもらってる。


まずは、テレビでカバディが映った時に
「あっ、カバディ知ってる!あれだよね、、」ってなるのが目標
少しでも知ってるかどうかで、横目で通り過ぎるかどうかが決まるから、まず目に止めて欲しい


カバディの楽しさを少しでも伝えたい

自分がカバディに出会った時の衝撃
自分でも面白いくらいハマったなぁと笑ってしまいます

宮城県民にカバディが浸透する日を勝手に思い描きながら語り続けてます


試合したいなぁ爆笑
香港野球代表が今日から五日間仙台で強化試合を行うということで、本日ウエルカムパーティーが、行われた。

代表監督に高校の同級生が就任しているということがあり、ご縁をいただいて出席した。


こんな場にまず私がいること自体が不思議ではあったんだが、面白かったというのが素直な気持ち。
特に2つのことを感じた。


1つは、代表監督になった同級生のこと。
昔から行動力があり、周りを巻き込むタイプではあったけれど、行動し続けると、ここまでスケールが大きくなるのだと、感心した。

1つのことを軸に、どんどん大きな柱になって、大きなことを成していく。

そんなパワーを持ち続けることは誰にできることではないと思う。



もう1つは、香港という「国」をよくわかっていなかったこと。
香港の人に直接あって話を聞くと、中国とは違う国であるという意識であったり、そうでなかったり、
世代によって捉え方が違うようだった。


香港といえば100年近くイギリスの植民地になっていた場所。
それもあってか、英語をペラペラと喋っていて、リスニングだけなら少しできる拙者にも、話の内容は聞き取れた。


教科書ではわからない生の声を聞くと、見えなかった世界が広がってくる。
同時に、日本についてどれだけ説明できるか、恥ずかしくなってくる。

もっと日本について、仙台について、知りたいと思った。


国際交流の意義は、自国の再認識という点であることは間違いないと、改めて感じた。



人の思いというものをすぐ忘れてしまう



世の中は、お金があれば何かを買うことができる



100円があればおにぎりが買える



貴重品といってお金の入っている財布はまず

大切にされる



もし100円でおにぎりを作ってくれ

と言われたらどうだろうか



握るのではなく作るのだ



つまり

米を作り  のりをつくり  塩を手に入れ 具を調達する



これをすべて100円でできるかと言ったらできない

言い換えれば


100円の労働時間じゃできない

何か月という長い期間を要する



それに

技術力を加味すれば


何百年という歴史の中に

米作りがある



100円で買うことのできるおにぎり一つには

計り知れないほどの努力と時間が含まれている




そのことを忘れてはないだろうか

お金があれば必要なものは買える時代



その前提には

安定した供給が備わってなければならない


私たちはかつて経験したはずだ



お金があっても物がなければ何もできないことを



お金は無意味なものであるということを





お金は大切だ


しかし


そのバックグラウンドには


人々の計り知れない思いと努力が隠れている






そのなことを思い出した今日




400円ほどで食べた牛丼が


いつもよりもおいしく、ありがたく思えた