感謝すれば、病気・痛みが治るとか消える、という話を聞いたことがある方は、多いのではないでしょうか?
僕の経験上、感謝と症状は確実に関係します。
病気になるときは、遠慮なく病気になりなさい
(小林正観さん)
観ることを学ぶ、観る力を養う
(エックハルト・トールさん)
言葉そのまま正確ではないですが、お二人はこんなことをおっしゃっていました。
僕も実体験から同じ感覚を持っています。
まずは心底、理解し、その次に感謝が溢れだし、病気が消えていく…
症状を手放すための2ステップを、
5歳で病人の道を選んだ経験からシェアします。
(この内容はリニューアルした動画でさらに詳しく解説しています)
(以下、オリジナルブログからの引用です)
感謝すれば、病気・痛みが治る?症状を心底理解・感謝し手放すまでの2ステップ|質問の本質
感謝をすると病気や痛みが治る…?
僕の経験上、感謝と病気や痛みが消えていくことは、確実に関連していると感じています。
ただ感謝すると治るよくなるというよりも、まず先に
- 病気や痛みを心の底から理解できて、
- 自然と内側から感謝が溢れ出して体が震える、涙が溢れ出すくらいの状態になって、
- 初めて病気や痛みが消えていく…(感謝せずにはいられなくなった時に)
そんな感覚を持っています。
感謝しようとすることはものすごく大事なことだと思うんです…
ただ、あくまで僕の場合ですが、
本当に痛み苦痛があるものに対して、心底、本当に純粋に感謝することって難しかったんです。
どこかで排除したい気持ちがある、病気や痛みを憎む気持ちが消えなかったです。
だから感謝より先にまず心の底からの理解があると思います。
「期待」ではなく、病気に純粋な「関心」を向ける
でも理解しようとすることの裏にも、「感謝したら病気が治るんじゃないか?」って期待しまうのと同じように、
「じゃあ、心の底から理解できたら病気が治るんじゃないか?っていう期待が入ってしまう
可能性もあると思うんですけど、そういった期待を排除することは、比較的やりやすいと感じています。
心の中の真実を知っている部分、なぜ病気でいるのか
?なぜこの痛みを発症させているのか?を知っている部分に純粋にアクセスしていくことは、
一定のやり方をやれば僕の認識ではやりやすいと思っています。
(この方法は後で紹介します)
つまり病気や痛みとか症状に対して純粋な関心を向けて、純正に理解しようとする意識状態をつくることです。
- 小林正観さんは、「病気になったら遠慮なくなりなさい」
- エックハルト・トールさんは、僕たちに「見ることを学ぶ」「見る力を養うこと」以外にできることはない
(これは病気にかかわらず)と、僕の正確な記憶じゃないんですけど、そんな趣旨のことをおっしゃっていたと認識しています。
病気についてももちろん感謝しようとすることも大事なんですが、
病気を観ること、その病気から何かに気づくか・学ぶか?と、同じようなことをおっしゃってると思います。
5歳で病気になることを選択した経験からわかる病気と感謝の関係
そしてここで僕の経験を紹介すると…
僕は5歳の時に両親の間に生じるネガティブなエネルギーを吸収して、病気になることを決断し、それから病気の人生を送ってきました。
もちろんそんなことは5歳の子供でしたし、無意識的にやっていることですから、全然気づきませんでした。
病気が苦しくって、両親も心配します。
そのことによって
両親の中に発生するエネルギーが、「僕を心配する」というエネルギーに振り替えられて、
家族のバランスを保ってきたわけです。
でも、僕も両親もそんなことを気づきませんから、一生懸命病気を治そうとするんですよね。
それが無意識の狙い通りなわけなんですけど(笑)
なのでいろんな病院をまわって、いろんな先生に頼って
あらゆる両方をためして、それでも決して治りませんでした。
なぜかというと自分で病気であることを選んでいましたからね…。
意義があるからです。
病気でないといけなかったわけです。
大人になりNLP(神経言語プログラミング)・質問の力でようやく5歳の決断を知る
でも大人になって心理学(NLPや質問の本質)を研究し始めて、ライセンスコースに通って、自分の中を掘り下げる、ということを知りました。
約40分くらいのワークでしたが、
そうしてやっと5歳の時に「病気でいること」を決断した自分がいるっていうことに気づいて、
「あぁ、今まで本当によく頑張ってくれた」って気付きが溢れて、感謝でもう体が震えたんです。
ワークの後はその病気を持っていた部分と夜遅くまで、語り合いました。
それで…
いままで経験したことがなかった症状の改善一気に進むという経験をしました。
それまでどんな薬を試してもどんな治療を受けても、びくともしなかったものが一気に治っていたんですです。
薬は、治療は、ずっと、本質的には効いていなかったことを痛感しました。
病気は…
- 自分自身を守るため
- 家族を守るため
- 家族とのつながりを再構築するためだったり
そんな役割があって病気や、痛みは来てくれていると痛感しました。
なので、例えばですが、
繰り返し腰痛になる人で、いくら整体やカイロプラクティックに通っても、その時はにはよくなっても、また悪くなってしまうようなケースは、
腰痛を必要とする心理構造があったりします。
こういった構造がすべてというわけではありませんが、けっこうあるのではないかと思います。
顕在意識、無意識と、真実を知っている本当の自分(内なる神、宇宙意識…etc)につながること
そして顕在意識では、病気の糸痛みが何をもたらそうとしてくれてるかなかなかわから
なかったりします。どうしても苦痛や不快感が大きいですから、通常の人間意識ではなかなか到達しにくいかもしれません。
真実を知っている部分、に意識的につながろうとすることが、病気を心底理解するためのポイントとなります。
(真実のインスピレーションを受け取られる場所
本当の自分と言ってもいいと思いますし、
内なる神とか内なるグルといってもいいと思います。)
このことは、今の時代ですから目覚めようとしている方にとっても、一つのエクササイズトレーニング練習になるんじゃないかと思います。
浅い意識・思考・エゴをすり抜ける
でも僕なんかはまさにそうなんですけどそこに到達するまでに、
浅い思考とか、浅井レベルの感覚とか、いわゆるエゴと言われるような意識に、こんなことを言われます。
「病気がいい理由なんかないじゃないか」
「こんなに苦しいんじゃないか」
「そんな感謝が湧き出るくらい深く理解することで、病気が治るなんて本当?」
といった疑いとか、ですね。
またそういった明確に何か疑いという形をとらなくても、
真実を知っている深い部分につながるのを妨げる「壁」のような意識の層になってしまいます。
なので、そこをすり抜けていく、工夫なり、練習なり、自分なりの方法でいいので、
知っておくと持っていくと良いと感じています。
その方法が、つぎの2ステップになります。
病気・痛み・症状を発症させる理由・本音につながる2ステップ
僕が習って実際に実践した方法は非常にシンプルです。
シンプルなだけに奥が深いともいえるかもしれないんですけど…。
1 リラックスする
根本的な原理としては、まなるべく浅い思考とかエゴが働かないように、
リラックスとすることです。体を意識して、肩から胸、両腕、両足、股関節周り、など体の筋肉を意識して緩めて行ったり、
呼吸を意識したり、心臓の鼓動を意識したりしながら、リラックスすることを意図していきます。
2 深い部分に意識を向けて問いかける
そして自分の深い部分に意識を向けて問いかけることです。
これはどんな風に問いかけるかというと…
- 何のためにこの症状だとかこの痛みを発症させてくれているんだろう?
- この症状によって何をもたらそうとしてくれてるんだろう?
- 何に気づかせてくれようとしているの?
そんな聞き方をします。
こういった質問を適宜いろんな角度から、自分の意識の変化や状態動きに合わせつつ、いくつか自分自身に投げかけて、
奥の真実を知っている部分にアクセスしようとします。
なぜこういった質問をするのでしょう?
この質問の仕方は、
病気がそもそも僕たちを守ってくれるものだとか
ちゃんと意味があるものだという「前提」を含んだ質問なんです。
「何のために、これを、してくれているの?」っていう聞き方になっていますよね。
「何を気づかせてくれようとしているんだろう?」も、ちゃんと意味があって自分の中に、病気が起こってくれいるものだという前提を質問の中に組み込んでいます。
そして、こうした「質問に含まれる前提」には、脳は確実に従ってくれるんです。
これが「どのくらい確実なのか?」については、質問の本質の授業オンライン講座で詳しくお伝えしています。
だから、エゴに「いやいや病気は悪いもの決まってるじゃないか!」という反論をされたり、
僕らが「本質を知っている部分」にスムーズに深く入っていくのを邪魔される、そんなことが起きにくいんです。
質問に前提を加えることの大切さ、こうした前提がいかに強力か、この質問の本質的なことについては、
「質問の本質の授業のオンライン講座」の受講生の方ならよく分かっていただけるかと思うんですが、
こうした前提を上手に使った質問をすると
「病気を排除したい。」「早くよくなりたい」という結果を求める気持ち脇において、
病気に純粋な関心を向けて、心の底から理解するように自分を意識を方向付けすることができます。
だから、「本当に必要だったんだ!」という気づきを得られて、
感謝しようとせずとも、もう「自然に感謝が溢れて、感謝せずにはいられない」という状態になりますから、
「自分につながれた!」「真実がわかった!」という体感もすごいものがあります。
病気を「感謝しようとすること」と「理解しようとすること」の意識の違い
以上のようなことですから、これもあくまで僕のイメージなんですけど、
病気を感謝しようととく努力することは、
病気を遠くから外から見て、
「何とか良くならないかな」
「なんとか私の体から出て行ってくれないかな…!」
という外部的な意識という感じがするんですけど、
(病気は、自分とはまったく関係のない、ただただ邪魔なものだという感じ)
これに対して、
「理解しようとする態度」は、
病気に本当に寄り添って大切な友達とか家族のように寄り添って
彼らが言っていること、主張したいことを親身に聞こうとすること
だと思っています。
なので、
「感謝しようとする」と「理解しようとする」の意識の状態に明確な違いがある
ように感じています。
だから、
小林正観さんが「病気になるなら、遠慮なく病気になりなさい」と言われたのと似てると思うんです。病気になってもちろん医学的な治療も必要だと思います。
でも、ただ単に治療してしまって、
何も学ばず何も気づかなかったとしたら、もしかするともったいないのかもしれません。
今の時代ですから、目醒めていくために、意識をさらにシフトさせていくとか、どんなこと
でもいいと思うんですけど、
(目醒めのワーク、統合ワークをしている人はその機会にするなど)
病気・痛みとか症状が出たからには、「何か気づいてもいいことがあるかもしれない」「ちょっと立ち止まって自分の内側を見てみよう」
そんな機会にしていいような気がします。
(目醒めようとしている方は、気づかないうちに目醒めの方向からずれている、その軌道修正として、症状・痛みを経験することもあるかもしれませんね。)
そして、こうした意識の使い方の練習をしていくと、
- 自分の身体に起こることに対する信頼感が増してきたり
- 風邪になる前に風邪になるっていう事に気付けて発症せずに済む
とか体とのコミュニケーション能力が増してくると感じています。
ですので、
- 何か体調不良になったというときに、「少し休んでほしい」と体が言ってるのか
- ただ単に「最近、意識の変化が大きかったから、体がついていけなかっただけだな。あまり気にする必要がないな」と思えたり
- ものすごい激痛に襲われても、「ああ、これはこのくらいで治っていくな。今じっとしてれば大丈夫だな」という安心感が得られたり
色んなメリットかあるんじゃないかと思っています。
本当にリラックスをできるだけして、
そして自分に質問をしていくというシンプルなものなので、
「なかなか深く入りにくい」「練習が難しいなぁ」と感じるかもしれませんし
「真実を知っている自分」にアクセスできているのか?
それとも途中の浅い層で止まってしまっているのか?
そうして悩むときはこうした誘導のサポートができるセラピストに頼って、
アクセスをどの程度までできているか?を見ながら、
質問を投げかけてもらうと良いと思います。
(お近くで、あるいはオンラインでもいいでしょう)
セラピストの力を借りてでも一度そうした体験をしておくと、
自分の中で「あ、こんなふうに質問していけばいいんだな」とか
「こういう意識の向け方で深められるだな」っていう感覚がつかめてくると思います。
なので、あなたが「自分自身ためになる」と思ったら、そうしたセラピストに頼ることも一つの選択肢だと思います。
以上、感謝と病気とか症状痛みの関係について、最近友人たちとちょっと話題になりましたので、僕の経験をシェアさせてもらったら、参考になるという方もいらっしゃるんじゃないかと思って
今回は書いてみました。
ちょっと話が長くなってしまったかもしれないんですが、
参考になったことがあれば幸いだなと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございました。