2021-04-02

 

 周東町高森の北にある鞍掛山には、戦国の武将杉隆泰の堅塁鞍掛城があった。厳島で陶晴賢を破って勢いを増した毛利元就は、防長二州をわがものにせんと、弘治元年(1555)十一月、吉川元春・小早川隆景ら七千余名の兵を率いて、安芸国から岩国の永興寺に進出してきた。

 

 そしてまず最初の目標として、ここ鞍掛城に白羽の矢をたて、欽明路峠を越えて玖珂盆地に入った。鞍掛山の標高はわずか242mにすぎないが、まことに険しい山で、守るにやすく攻めるにかたい要害であった。

 

 

 城主隆泰は「命のあらん限り元就と戦うべし」と二千六百の兵を三つの隊に分け、自らは本丸に立て籠って、元就来たれと待ちうけていた。ところが相手は、元就以下長年戦場できたえた古つわものばかり、待ちうける敵の要害を正面から攻撃するようなことはしない。偵察部隊を正面にまわし、敵をひきつけておき、主力部隊は城の裏門から夜明けを待って不意打ちをかけたという。

 

 こうして鞍掛城は、隆泰以下城兵の奮戦も空しく焼け落ちてしまった。それから四百年余もたった今日でも、鞍掛山の城跡を掘ってみると、城に貯えてあった米や麦が、まっくろにこげて地層のように出てくるという。

 

 鞍掛山をのぞむところに鞍掛戦死者の碑(鞍掛合戦千人塚)が建立されています。