天文十五年(1546) の秋の夜、大内義隆が築山館で月見の宴を開いていたときのこと、庭内の名木「月見の松」のあたり、館の塀の上に妖しい黒い影の蠢くのを教えて宿直(とのい)の者を呼び、これを撃たせてみると、それこそまぎれもない世にいう山姥であったという。
その夜、山姥退治の武勇をたたえられ面目をほどこしたのは、松原隆則という三十六歳の凛々しい侍であった。
築山館のはるか北方、天花畑の山奥に棲んでいたというこの怪物退治の噂は、太平に馴れた家中の侍をはじめ山口の町中の人々を今更にふるえあがらせたが、一方では、何か不吉なものの漂うのを感じさせるようになっていった。
それから五年して、義隆は陶晴賢の反逆にあえなく果て、山姥退治の隆則も、主君義隆を守ってよく戦ったが、武運つたなく戦死したという。

築山館は現在の八坂神社、龍福寺付近にありました。

