如意寺は吉祥山という山号をもつ禅宗のお寺で、如意寺集落の中心的な存在であった。今でも観音堂と薬師堂が残っているが、江戸時代から無住の時代を繰り返し、現在もお守りする人がなく、部落の人が管理している。
このお寺には厚東判官の奥方が如意寺に身を寄せた時に祀ったといわれる観音菩薩と薬師如来がある。厚東氏、大内氏の時代は庇護を受けていたので、隆盛をきわめていた。
『防長風土注進案』には、観音菩薩を本尊として境内に薬師如来あり、と書かれている。『寺社由来』には、三間四方の堂に観音座像や毛利元就、隆元の位牌があるとあり、薬師堂は文禄二年(1593)に祀り、薬師立像一尺八寸、脇立十二神像と書かれている。
如意寺部落に住む人たちは小野地区のほとんどの人がそうであるように真宗の門徒である。小野湖のダムエ事のために移転した命信寺と西秀寺の門徒である。従って薬師如来や観音様をあがめる信仰とは違うが、地区の仏様としてお守りし、お花をあげたり、掃除をしたりしている。
桃源郷のような集落でした。左が薬師堂、右が観音堂。どうしてここに毛利元就の位牌があるのでしょうか? 秋はイチョウの黄葉がきれいだと思います。
仏像を納めている厨子は立派な物が置いてある。昔ほ二十年に一度の御開帳があり、藩の許可状を得てからやっと仏様を直接拝むことが出来た。藩への願状や許可状は今でも残っている。
如意寺東の小丘には荒神社があるが、鳥居には河内神社となっている。罔象女命(みずはめのみこと)とともに菅原社が合祀されて荒神社と呼ぶようになったらしい。以前は平地にあったらしいが、大正十二年に現在地に移した。昭和六年までは岩戸の舞が奉納されたとある。
(2011.09.28 撮影)


