2010-09-12

 

 萩市大谷の涙松は、萩城下から山口へ通じる旧街道で、城下の町並みが見えるのもこのあたりで最後という所にあり、萩の町を見返り、人々が別れの涙を流すというので、街道の松並木を「涙松」と呼んだといわれる。 

 

 安政六年(1959)五月二十五日、吉田松陰が江戸傅馬町の獄へ送られるとき、このところで、「かえらじと思いさだめし旅なれば一入(しお)ぬるる涙松かな」と詠んだので世に知られている。

 

 松陰先生が江戸に送られたときに最後に句を詠んだところです。 
どのような心境だったんでしょうか?石碑が建てられています。

 

 

樹木が茂って萩城下は見えづらくなっています。

 

 

四等三角点があります。三角点名は「涙松」です。