湯本温泉、大谷山荘前の国道脇、塔の尾の地に小山がある。山頂に不完全な宝篋印塔があり、僧・俊寛の墓と伝えられてきた。近年まで塔のそばに松の老木が二本あり、俊寛松と呼ばれていた。
『地下上申』には、「三ノ瀨にこれ有候。ただし、五輪にて高さ三尺五寸、古来より俊寛僧都の墓と申し伝え候」とある。
俊寛は平安末期の法勝寺の僧で、治承元年(1177)、京都東山の鹿ヶ谷山荘で同志とはかった平家討伐の密議がもれ、九州の鬼界ヶ島に流された。そして2年後、この島で三十七歳の生涯を終えた。
『注進案』によると、俊寛の遺骨を童子の亀王が首にかけて修行の途中、湯本で骨が重くなった。とまどう亀王の前に俊寛の亡霊があらわれ、「わが骨を二本松のそこなる丘の上に埋めよ」と告げたので、二本松の根元に手厚く遺骨を納め、そばに庵を建てて墓を守ったという。
墓の主については別の説もある。萩焼の先祖、李勺光が朝鮮語でシャムカンと発音されるところから、これがシュンカンになった可能性もあるという。また、俊寛の墓は全国各地に存在し、謎はとかれていない。
(2012-05-04 撮影)


