※現在は知りませんが、30~40年くらい前には常盤神社にカップルで参拝すると別れるいう都市伝説あった神社です。ご祭神が女性の神様だから焼きもちを焼くのでしょうか(^-^;

 

 カッタ君で有名になったペリカン島の近く、湖に浮かぶ小島に常盤神社が建っている。橋がかかっており「新宮橋」と書いてある。
 常盤池は元禄十年に完成したが、築堤に当たって采配をふるった椋梨権左衛門は成就祈願のため工事の最中、元禄八年、須佐から「罔象女神(みつはのめのかみ)」を祀る末富大明神を勧請し、水が溜まるように末留大明神として祀った。

 

※罔象女神:日本神話に登場する水の女神。水利の神・水の祖神として、水に関する物事にご神徳があるとされている。伊邪奈岐命と伊邪奈美命の夫婦神の御子神で、伊邪那美尊が火神を生み、病臥したとき、その尿に生まれた神。灌漑に用いられる水や火を鎮める水の霊能を神格化したもの。

 

 罔象女神は河内神社など、水をつかさどる神社にはたいてい祀ってある神である。宝永元年(1704年)、堤の上に新しく社殿を建て末留神社と改称した。

 

 

 

 享保年間(1716年~)になって草江に移した。草江では二回場所を変えている。常盤の池ができて草江のあたりは肥沃な土地になっていった時期である。文化三年(1806年)、福原房俊の時、神殿を建てたと廟碑に書かれている。神社の跡地である草江の遊園地には末留大明神廟碑の立派な碑だけは残っている。

 

 

 天保五年(1844年)に厚狭郡小野村の大歳神社(地元の人は水神様といっていた)を合祀して大歳神社と称していた。末留神社を常盤から草江に移してのち、常盤池にもやはり神社がいるとして守護神として竜田大明(竜神)、丹生大明神を勧請して新宮と呼んだ。元あった神社に対して新しく作ったので新宮といったのである。この神社も一度、梶返の新堤を作った時に移したが、さらにまた現在の小島に移した。昭和四十四年、梶返の正木嘉一氏が発起人となり、草江にあった大歳神社を再びこの地に移し、新宮と合祀した。この常盤神社の前にも石碑が立っている。こちらは末留大明神の碑に比べて新しく、明治三十九年、宇部の漢学者・藤田草湖の文で書かれている。

 

 

 宇部村には灌漑に使える大きな川がない。常盤の池は雨水や自然に溜まる水だけを頼りに池を作ったのであるから天に祈る気持ちで水が溜まるように神を祀ったのである。しかし、はじめのころ水が溜まらないので、この工事を主宰した椋梨権左衛門は腹を切らねばなるまいといわたりした。また、川上の溜池から水を引こうとした時は鉄砲で脅かされたりしたともいわれる。川上の椋梨家から常に池まで通うため往還の松を植えることもした。開の地に人びとが住み出したのも、このころ開け出したからだといわれている。

 

(2011-07-08 撮影)