七福神で知られる恵比須様は大黒様とともに親しまれている神様である。宇部では、ほとんど「蛭子」の字を使い藤曲や岬、床波など、昔から漁をする所では大漁をもたらす神としてお社を建てお祀りしている。
漁の神様として信仰のあつい蛭子様が上宇部鎌田の奥まったところに祀ってあるの不思議だが、これは以前、西の宮にあったものと分かれば納得できる。
鎌田にあるこの蛭子様は今からおよそ300年程前、福原の殿様が江戸から帰られた時、土産もの物として蛭子様と地蔵様の二つの石像を持って帰ったと『宇部郷土史話』に書かれている。
『宇部見聞録』にも「岬大明神の小社、西宮の蛭子、講堂(川津)の地蔵、右の儀は一説に慈雲院様(福原広俊)、江戸にて思し召し候分」とある。
今でも真締川にかかっている西宮橋付近は海の潮が満ちてくるところであり、三十年くらい前までは「えびす岩」と言われる大きな岩があったそうである。そしてその岩の上に今の蛭子様があったという。
明治の初め作られた宇部八景の一つに「蝦口夕照」というのがあり、蝦口というのは「えびすぐち」のことで、この言葉はこのあたりの景色であろうといわれる。
今の医学部の病院あたりは一面の田であったろうし、夕陽に映える蛭子岩のあたりは絵や詩になるような景色であったにちがいない。その蛭子様がどういう理由で移ったのかは分からないが、二転三転して今の鎌田に祀られるようになった。
蛭子像とそばに凝灰岩でつくられた祠があるがこれはどこから持ってきたものかわからない。凝灰岩製、つまり火山灰の石でありこのあたりでとれる石ではない。
防府の大日古墳の石棺も凝灰岩製でありナゾを秘めている。旧沖の山小学校(現西部体育館)の所も蛭子である。宇部には七つえびすがあったといわれている。
(2011.09.05 撮影)
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最近の散策です
確か畑の中にあったよな~という記憶で、13年ぶりに蛭子様を探すも見当たらない。(前回も情報が得られなかったので何度も探しました)。2回探すも見るからない(・・;)
3度目の正直で畑で仕事をされている方に聞いたところ、1年半前に宅地造成で畑は住宅地になってもう家が建っているのでは・・・ということだった。
蛭子様は護国神社に引っ越しされたというので護国神社に行ったらありました(^^)/
蛭子様、きれいになっていました(^^)/
(2024.12.19撮影)


