山口県には平家の落人以外に、伊予(愛媛県)河野氏の落人や豊臣氏の残党、大内・陶氏の敗残者、さらには三島衆など海賊(水軍) の潜居の伝説もある。ことに瀬戸内海に面する周防部には、屋代島をはじめとして、伊予の河野氏や海賊衆のいい伝えが多い。

 

 厳島の合戦の戦功によって、毛利氏より屋代島をゆだねられることになった三島衆の能島村上氏は、慶長五年(1600)関ケ原の合戦の際、村上武吉の子元吉が伊予松前の加藤嘉明を討つため三津浜に出陣したが、不意をつかれて戦死し、一家離散して大島に落ちてきたという。

 そこで武吉は和田(東和町) に落ちついて三年ののち、慶長九年にこの地で死んだといわれ、その墓は内入の元正寺の境内にあるとか。

 

 

 そして関ケ原合戦ののち、武吉の次子景親が大島の和田・小泊などを給領し、和田に田屋(領主の私宅)をおいたが、その子孫が今の酒造家村上家といわれ、この家には村上水軍の戦法書など数多くの資料が残されている。

 

酒蔵の建物だけが残っていました。

 

(2024.04.18)