下関市伊崎小門にあります。
中島組のいわし網にかかった壇ノ浦の戦いで海の中に沈んだ安徳天皇のご遺体がを引き上げて安置した場所です。
朱塗りの鳥居があります。
鳥居の奥には石祠があります。
説明板です
「第八十一代安徳天皇は寿永四年(1185)三月二十四日
源平船合戦において、平家一門と下関壇ノ浦に入水し給えり。
そのご尊骸はここ小門海峡に流れ着き、
中島組のいわし網に引き上げられしと伝う。
その後、関門海峡に臨む阿弥陀寺境内(現阿弥陀寺町赤間神宮)に陵を築き、天皇殿を建立せり。すなわち、この小門の地は先帝祭
御神幸祭お旅所として『先帝祭上臈参拝』の翌日(五月四日)
中島家の子孫賑々しく御神幸祭の行列を奉迎して、
厳粛なる祭事が執行され、今に絶ゆることなし。
當地伊崎町に中島家と称するあり、傳う云う是れ正しく
平家の遺裔にして、代々名を四郎太夫と称せり、先帝會には古来、
先ずこの四郎太夫参拝し、次に女郎の参拝焼香するを常とす。
若し中島四郎太夫にして、参拝せざる間は、何人も之を為すことを得ざる今もこれ然りを、以て其の由緒深きを知るべきなり。
中島家 赤間神宮 建立」
小門(西方向)
(2024-05-26)