むつみ村の大字高佐上・高佐下・吉部上・吉部下が伏馬山を中心に一つの郷をなしていたころ、ここを支配する片俣宿禰という身分を誇る長者がいた。この長者が召使う下人の一人に安助という信心深い男がおり、時折、長者の許しを得ては紀州の熊野へ参詣に出かけていた。

 

 ある年のこと、熊野に参詣した際に、病気になり、那智湯ノ川の湯宿に数日滞留したため、予定より遅れて帰路についた。安助が許可した日数より遅れて帰ってきたのをみて、長者は烈火の如く怒り、有無をいわせず一刀のもとに肩から袈裟掛けに斬りつけ、安助はその場に倒れた。と、同時に水煙が立って安助の姿はぱっと消え、あとには斜め切りになった御守りと金の御幣が残っていた。長者は不思議に思ったが、けがらわしいと、下人に命して中尾の丘の上に捨てさせてしまった。

 

 その後、間もなく、斬り殺したはずの安助が、旅の疲れも見せず戻ってきたので、長者が「おのれ下郎奴、はや幽霊になりおったか」と叫ぶと、安助は「大変に遅れましたが、只今熊野から戻りました」と、湯ノ川の宿で病気の治療をしたことや、湯ノ川から持ち帰ったお湯を土産に差し出したりするので、間違いなく正真正銘の生身の安助とわかり、驚いた長者が下人と一緒に捨てた御守りや金幣を探しに行くと、丘にはそれらしいものがなかった。

 

 ここにいよいよ長者は熊野大権現の御神徳を感得し、安助が持ち帰った御守りを御神体として祠に納め丘の上に祀り、もったいないことだというのでその丘を「勿体ケ嶽」と名づけたという。そして、この勿体ケ嶽の麓に湯ノ川のお湯を注ぐと、葦の生い茂った沼地からたちまち熱い湯がわき出してきた。長者はこれを「湯野の湯」と呼んで、百姓たちに利用するようすすめた。この権現社の御神徳霊験とともにお湯も喜ばれて、信仰は近郷一円に高まり広まっていったという。

 

さすが熊野権現の力。今はクマの季節なので冬に登山する予定です。今から楽しみです。