須佐町弥富は、桃源境を思わせる山間のある郷である。

昔、この弥富のある老夫婦が京の都で拾い育ててきた女の子が、実は和泉式部とその情人との間にできた子であって、余儀ない事情から、守り仏にと観音像を添えて、東山の黒谷あたりに捨てたものとわかり、たずねてきた式部に七歳になる女の子を返してやった。

 老夫婦は、金銀の返礼をうけて弥々富貴になったということで、これにちなんで里の名は「弥富」と名づけられたといわれ、ここに式部堂を建てて、守り仏の観音菩薩を本尊として祀ったが、今は全柳寺に安置されているということである。

 

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2024-05-22 再訪問

google mapに和泉式部お産岩というのがあったので行きました。

この伝説は少し違って、式部が九州に下る途中、ここで産気づいて出産したとなってます。

 

 小さな岩です。ここで出産?と疑問になる大きさの岩でした。かつてはここに式部堂があって安産祈願で訪れる人がいたそうですが、看板等がないので通り過ぎてしまいますね。

 

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全柳寺

 

 

(2024.04.28)