天平七年(七三五)、遣唐使の吉備真備が唐から帰国の船に一人の美女を乗せた。しかし、船が博多の港に着いたとき、その姿はどこにもなかった。
それから二百年以上経ったころ、宮中でいろいろな異変が起こるようになった。
占い師の祈祷で悪霊が正体を現した。それは唐から美女に姿を変えて渡ってきた金毛九尾の妖狐であった。追いつめられて那須野(栃木県)の逃れた妖狐は、そこで殺生石に姿を変え、なお通行人を悩ました。
 

 

  そこで播磨国(岡山県)の性空上人が来て如意棒を振るうと石は砕けて八方に散った。その一つが長門国のこの地に飛んできてまた人びとを悩ますことになった。 永和三年(一三七七)、深川(飯山)八幡宮宮司・上田織部久章が、これを八面稲荷として丁重に祀り、災いがおさまったという。 

 

 

 現在、この八面稲荷には関係農家四戸の稲荷講があり、毎秋、八幡宮の宮司を招き祭りを続けている。なお、栃木県の那須湯本温泉の近くには「奥の細道」で芭蕉も訪れた殺生石がある。いまも岩の周辺からガスを噴き出し、この地の名勝地である。