仮面ライダーZO 「究極」の「原点」 | Slipperの部屋

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『仮面ライダー』等の特撮ヒーローを愛好しております。気ままに書きますので不定期更新で失礼。

今、愛が止まらない。

 

 

 

 どうも、管理人のスリッパです。

 

 去る4月3日、『仮面ライダー』シリーズが50周年という節目を迎える記念日でした。

 半世紀にわたって紡がれてきた物語たち。当然、作品数は非常に多い。初代から履修するとなれば、かなり根気と体力が必要になるでしょう。

 

 そんな作品群の中で「短くも良いのが見たい」という方に強くオススメしたい一作。

 俗にネオライダーと称される三作品、そのうちの一つについて。

 

※以前のブログに掲載していた記事とは別物です。2019年に作成したそれと類似する部分もあれば、違う部分もあると思いますので、ご容赦ください。

※ネタバレを含みますのでご注意ください。なお、ネタがバレていても面白いのがこの『ZO』だと思います、と私の意見を添えておきます。

 

 

『仮面ライダーZO』

原作:石ノ森章太郎

監督:雨宮慶太

脚本:杉村升

プロデューサー:

 渡辺繁

 久保聡(バンダイビジュアル)

 堀長文

 角田朝雄

制作:

 東映

 東映ビデオ

 バンダイ

 

〜あらすじ〜

 

 遺伝子工学の権威・望月博士は「ネオ生命体」を生み出す研究に没頭し、助手・麻生勝への改造実験を強行する。

 4年間の眠りから目覚めた麻生勝は、バッタの遺伝子を取り込んだ戦士「仮面ライダーZO(ゼットオー)」へと変身。

 襲い掛かる怪人から望月博士の息子・宏を守りながら、人類を脅かすネオ生命体・ドラスとの決戦に挑む!

 

(仮面ライダー公式ポータルサイトより抜粋)

 

 

〜『ZO』という「究極」の「原点」〜

 

 1993年に劇場公開された本作『仮面ライダーZO』。

 わずか48分という短さで、しかし「仮面ライダーの全てが詰まっている」と言っても過言ではないほどの熱量が詰まったこちらの一作。

 

 その名前「ZO」にも意味がありまして。『仮面ライダー』生誕20周年記念を祝しての文字(20と形が近いアルファベットでZO)というのもありながら、原作者である石ノ森章太郎先生は別の解釈を提示してくださった。

 

「Z」=「究極」

「O」=「原点」

 

 詰まるところ、この仮面ライダーは「究極の原点」なのだと。

 では、この作品における「究極」や「原点」とは? ここでは、私なりの解釈を提示したいと思います。

 

 

1:「究極」の不完全

 

 まず本作の敵側からお話をさせてください。

 

 ネオ生命体。望月博士が研究・開発した新たな生命の形。

 そのコンセプトは「感情などに左右されない完全な生命」とのこと。

 平成ライダーで育った方々にドラスと伝えれば「ああ、ディケイドの冬映画で出たやつね」と思い起こされる方もいるのではないでしょうか。

 

(『ディケイド』の完結編もですが、個人的に『W』のビギンズナイトが最高に好きなのでオススメです……そのうちこちらの記事も何かしらの形で)

 

 ちなみに平成ライダーで主人公ライダーのスーツアクターとして活躍された方はご存じでしょうか? そう、高岩成二さん。ミスター平成ライダーとしても有名ですが、本作『ZO』ではドラスを演じられています。

 そして仮面ライダーZOを演じるスーツアクターは岡本次郎さん。『BLACK』及び続編『BLACK  RX』の主役を演じられた方です。

 

 

 

 最近っぽくいえば『ゼロワン』で仮面ライダー滅という敵ライダーを演じた高岩さんが主役のゼロワンを演じる縄田さんと対決する場面でしょうか。さながらスーツアクターとしての主役の世代交代を象徴するようなシーンに沸きたったファンも多かった印象です。

 

 

 

 また、ZOのデザインは原作者である石ノ森章太郎先生が起こされたものです。そしてドラスたち怪人側は、本作の監督も務められた雨宮慶太氏のもの。

 おそらくこの名前を聞いただけで「お!」となった方は、ダークな特撮ヒーローもお好みかと存じます。そうです、『牙狼-GARO-』でもお馴染みの、あの雨宮監督です。

 

 

 

 ライダー作品でいえば『BLACK  RX』の怪人たちのデザインにも携わったお方で、そのグロテスクな造形に惹かれたファンも少なくないとか。なお、小学生の頃に『ZO』を見て、ちょっと夜に寝られなかったのはここだけの話。


 しかし「原点」である石ノ森先生のライダーと、「究極」に近しい才能を持った雨宮監督のライダーになるはずだった怪人が対立する構図は、これまた面白いもの。公式読本である超全集でも「ドラスは悪のライダーになる予定だった」という記述が。

 

 

 ある意味では『アギト』以降に多くなった「仮面ライダーVS仮面ライダー」の源流はここなのかもしれない!

(いや、どう考えても『V3』のライダーマンや、『BLACK』のシャドームーンだろ、というツッコミありがとう。知ってて言ってます)

 

 

 また作品設定的にも「ZOがプロトタイプ」で「ドラスがそのデータを基に造られた、より完全に近いもの」なので、モチーフが同じ昆虫なのもすんなりと頭に入ってくる感じ。

 

(あのさ、マジでドラスってばどうしてこんなに立体物が少ないんです……? ダークライダーになるはずだったキャラで、造形もすんごいハイクオリティなんだが……あ、高レベルすぎるから下手に売りに出せないのか……?)

 

 

 脱線失礼。

 

 しかし、作中で望月博士が「なぜ感情に左右されない完璧な生命を望んだのか」という話はされません。50分弱の短い尺の中に入りきらなかったお話でしょう。

 その為、ここからはあくまで妄想の話ですが。おそらく妻がいないことなんかが関係しているのかなと。

 可能性の話をするならば、息子である宏が生まれて間もなく妻が死んで。けれど幼い息子を守るべしと必死に取り繕ってきた。ただ、それでも喪った悲しみは消えないし、むしろ募っていったとすれば。

 彼女の死因が単なる「病気」ではなく、人の感情が生み出した「悪意」や、心があったからこそ苦しみ抜いた結果の「自害」だったなら。

 

 時に人間はひどく不完全で、感情があるせいで悩みもするし苦しみもする。

 乗り越えるのが正しい道だとしても、深い悲しみや燃えるような怒りの感情は止められないことだってありましょう。

 

 そんな時、感情になど惑わされることのない生命という願望が視界をチラついたとしても、不思議ではない気がします。

 

 現実の話でも、ストレスが原因でそれまでの人格が歪んでしまうケースは珍しくもありません。温厚に見えていた人が、実はずっと一人で抱え込んできたものがあって、それが抑えきれなくなって「人が変わったようになる」というのは、おかしい話でしょうか?

 

 この不完全な人の心。それゆえに生み出してしまった「完全を求める人の残酷さ」の結晶。冷酷で怜悧、子供のような無邪気さで笑う怪物。それが「究極のネオ生命体」ことドラスだと考えると、やはり怖いですね。

 ちなみにここ、やはり石ノ森先生のマインドである「科学の暴走」という話が入っている気がするんですよ。

 というのも、『仮面ライダー』の設定自体「暴走する科学技術で利己的に発展しようとする身勝手な人類(ショッカー)に対して警鐘を鳴らす大自然の使者(仮面ライダー)」というのが基礎。

 いや元気に『セイバー』を見ているちびっ子に訊いても「知らん」としか言われませんでしょうが。あくまで、原作者側から提示された原義はそこでしたよ、というお話。

 

 この望月博士においては、特にこの「科学の暴走」という一点を強く担っているように感じます。

 だって目的が「世界征服」でも「文明破壊」でもない。ただ「科学者としての欲求」が彼を駆り立てて、人体改造や人造生命の創出なんて方向にいったわけですから。

 そこには悪意も何もない。ただ願いという名の欲望があっただけです。大人になってみれば、ここが「怖い」と思う点かも。もちろんネオ生命体の緑色のあの姿は純粋にインパクトが大きいですが。

 

 不完全な人間だからこそ、求めてしまう「究極」。

 その儚さがわかってくると、この物語がより深く楽しめるのかもしれません。

 

 どうでもいいけど、1990年代の特撮技術、やばくない? 

 怪人の造形はもちろん、ワイヤーアクションやバイクとの激突はもちろん、人形アニメーションや戦闘シーン長回しのところなど、今のCG最盛期で観ても全然引けを取らないんだが。むしろこっちのがリアルに怖いと感じてしまうのは、私だけ??

 

 

2:「原点」の希望

 

 おい、主人公のことを放っておくなよ。

 そうです、本作のタイトルは『仮面ライダーZO』。ヒーローのお話をしなければ!

 

 仮面ライダーZOに変身する青年=麻生勝。演じるのは土門廣さん。『ブルースワット』のシグを演じた俳優さん、といえば伝わる方もいるのでは?

 

 

 オーディションの時に、彼が入ってきた瞬間に「あ、仮面ライダーが来た」と感じたというスタッフの話はずっと語り継ぐべきと思うばかり。

 だって実際、すごいカッコいいんですよ。マジで『クウガ』からイケメンライダーだとか言われてますけど、この時すでに「究極」にイケメンの兄さんが登場してますよ!

(いや、でもオダギリジョー氏のカッコ良さは、それはそれで好きなんだよなぁ……私ってばチョロいな笑)

 

 脱線失礼。

 

 物語上では、助手として手伝ってきた望月博士に裏切られて改造手術をされ。変わり果てたその姿のまま雷に打たれて四年もの間、深い森の中で眠っていたという主人公。

 

 実際に彼の心情を考えてみれば、懇意にしてきた相手にいきなり崖の上から突き落とされたようなものでしょう。いや、それよりも酷い仕打ちかもしれない。

 

 最近の世情で「改造人間」という言葉はあまり使われなくなりました。義手や義足、整形などで肉体のどこかを補った人に対する差別だという意見も、理解はできる。

 ただ、彼ら彼女らは「生活に必要だから」「自分をよりよくする手段として」「幸福に生きる方法の一つだから」と立派な理由がある。

 対して、主人公の麻生勝には、彼のメリットになるものは何もない。ただ「完璧な生命を創る研究の犠牲になれ」と強要されて、そうされる謂れもないまま人間ではなくなってしまった。

 

 想像して欲しいのは、人間でなくなる、という意味。

 

 産んでくれた母親に、育ててくれた父親に、その怪物としての姿を見せられますか。ちょっと指で弾いただけで死んでしまうかも知れないのに、恋人だからと力強く抱きしめられますか。一緒に笑い合った友人だって怯えるかも知れないのに、それでも仲良くしてよと笑えますか。

 

 私なら、NOです。

 

 何だって触れただけで簡単に壊せてしまう力を与えられて、しかしその制御を怠れば身近な人が真っ先に不幸になる。幸福に生きてきた時間が長いほど、その恐怖は大きいのではないでしょうか。

 こういうの、今は厭われるばかりのものなのでしょうが。石ノ森先生が描いた「原点」はやはりこの「孤独」に還ってくる。

 誰にも理解されない苦しみ、自分でもどうしていいのか戸惑う痛み、それでいて救いのない答え。もう、元には戻れないという絶望。

 

 けれどね。麻生勝……仮面ライダーZOは立ち上がった。

 

 本人曰く「目覚めた時は博士への怒りでいっぱいだった」と。けれど、大自然の中で眠っているうちに流れ込んだエネルギーと、博士が息子である宏くんにプレゼントしたオルゴール時計の音楽を聴きながら笑みを浮かべます。

 

「みんな一生懸命に生きている。愛し合いながら。これを壊しちゃいけない」

 

 博士を問い質したい気持ちもあったでしょう。なんなら復讐したいと願った時間もあったかも知れない。

 でも、そうしなかった。彼の取った行動は、テレパシーで訴えかけてきた誰かの声に従って、博士の息子を助けに向かうこと。

 自分をこんな目に遭わせた相手の、その息子。どうなったって構わないと言っても、不思議じゃない。それでも彼は、守る側として戻ってきた。

 こういうのを、本当の愛って言うんじゃないでしょうか。

 

 哀しみをそっと仮面に隠し、無償の優しさを伝える存在。

 謂れなく傷つけられた側だからこそ、他の誰もそうさせないと叫ぶ心の在り方。

 愛情という不完全で、しかし温かい感情こそ、「原点」。

 そういう心の持ち主をヒーローと、「仮面ライダー」と呼ぶんだろうなと。

 

 だからでしょうか。最後にバイクで走っていくシーンがより美しくも儚く感じるのは。

 これからも誰かの涙を拭う希望の風として走っていく。去り際の彼の笑顔から、そんな気持ちが感じられるのは気のせいなのでしょうか。

 

 受け取り方は人それぞれですから「これが正解」というものは提示できませんが。

 私の中では、あの精悍な笑みがくれる希望が今もどこかで残っている。

 一人の尊敬すべき英雄としても、今だからこそ見習いたいと思える「人間」としても。

 

 すいません、こんな言葉ででしか綴れませんが。少しでもこの『ZO』という作品がすごいってことを知ってもらえたり、ちょっと見てみようかなと思えたら幸いです。

 

 

 

(参考文献、というほどではありませんが。本編及び上記二冊もよければ)

 

 

 ではでは、今回はこの辺りで失礼いたします。

 どうか皆様の胸の中にも、本当の愛が微笑みますよう。