回数を行うのが筋トレではない。
少ない数でキッチリ追い込む。
筋肉を強く大きくするのは回数ではない。
18年間GLAYを聴いてきて、ファンであると明確な実感を持つのに、
最も影響を与えられたと思うのは歌詞である。
長い文章を書けば力を持つわけではない。
僅かな文字の数で、少ない言葉で深みをみせる。
そして、広がりを残す。
人が受け取って初めて命が宿る言葉というのは、ギリギリであってはダメである。
自分の思いばかりをドカンとしても、それは何文字あろうが死んでいる。
伝わるかどうかというのは長さではない。
そこに音の助けがあるというのは、小説よりも有利だろう。
しかし、言葉が入れるスペースは限られている。
少年時代、好きになった音楽はどれも、言葉よりもメロディーだった。
歌っていたけど、ただ言葉を覚えていただけ。
言葉に意味があるという概念すらなかったそんな時代に、唯一“彼らの声”は聴こえていた。
意識的に読み取ろうとしていたわけではなく、言葉として理解しようという作業が、
何故かGLAYでだけは自然に行われていた。
大人になり、分からなかった歌詞が今の涙腺を滲ませる。
自分に重ねる事、物事と物事の繋げ方を学んでいたと断言できる。
影響を多分に受けながらも、信じ込まなかった。
歌詞を言葉として捉えてきたから、狂信者にならなかった。
この適切な距離が自然に作られていたのが好運だった。
常に、考えるきっかけであった。
常に、悩みの元凶だった。
僅かな言葉で、自分の事を言ってみたい。
僅かな言葉で、誰かに物を言ってみたい。
その為には、恐らくまだまだ苦しみが足りない。