岩手からだとあまりに遠く、なかなか行けないでいた伯耆大山。
今回、ようやく念願かなって挑戦する機会に恵まれた。
せっかくの百名山なので遠征期間中もっとも天気が良い日に当たるように調整したが、これもうまく当たった。
これは幸先がいい。
早速入山しよう。

…と意気込んで登山口に乗り込んだのだが夏山登山道入り口の駐車場は工事のため閉鎖中だった。
一瞬焦ったが、近隣の南光河原駐車場に車を停めることができた。
工事中の特別措置なのか駐車料金は無料で開放されていた。



さて、気を取り直して南光河原駐車場をスタートする。
登山口から若干離れたが、どうせ周回してくるのでトータルで歩く距離は変わらない。

 

道路脇に夏山登山道へのショートカットがある。
車道歩きしなくていいのでありがたい。



この道はすぐに夏山登山道と合流する。
大山の麓は多くの寺社、および寺社跡などの史跡が並んでいる。
昔は宿坊などが建ち並んでいたらしく苔むした古い石垣が独特の雰囲気を醸し出している。



登山口付近は道も参道といった雰囲気で

「はて、我々は寺院参りに来たんだっけ?」

と思ってしまうような独特の雰囲気を漂わせていた。
とざんどうから見える場所にお堂があったので、ちょっと寄り道していく。

 

これは大山寺阿弥陀堂。
大山寺に現存する建物の中では最古のものとのこと。
中を見るには予約が必要だ。
外観だけ拝んで先へ進む。 



石段が尽きたあたりが1合目。
まだ登山という感じじゃないな。

 

1合目から先は石段に変わって木段の道となる。
登山道に階段があると嫌なものだが、ここは段差が小さく歩きやすいのが救いだ。 



登山道脇には軽モノレールの線路が設置されている。
延々と道の側を離れないので登山道整備のためのものだろうか。 
ちょっと…乗ってみたいかも(笑



木段は延々と続く。
大山の登山道は崩壊防止のためにガチガチに固められていると聞いてはいたが、これほどまでとは思わなかった。
自然の道床はほとんど無いと言っても過言ではないと思う。

 

五合目に到着。
ここまではずっと木段を登ってきた。
整備されすぎていて「登山している」気がしない。
淡々としすぎるんだよなぁ。 



五合目には山の神の祠が鎮座している。
はるか昔から大山に登拝してきた人々の安全を見守ってきたという。
我々も登山の安全を祈願して行こう! 



山の神の傍らからは眺望が得られる。
眼下には米子の街や弓ヶ浜の海岸線が見える。
今日はいい天気だ♪ 



五合目の直上で行者谷コースが合流してくる。

 

いつの間にか登山道周辺は灌木帯となり頭上が明るくなってきた。
道もやや登山道っぽくなり、ようやく登山をしている気分が盛り上がってくる。 



六合目には新しく立派な避難小屋が建っている。
中の広さは三畳程度。
トイレも無いため本当に緊急時に避難するシェルターだ。 



避難小屋の裏手にはいよいよ大山の威容が見えてきていた。
崩壊斜面の迫力は見るものを威圧するかのようだ。
時折、ガラガラという落石の音も聞こえてくる。 



六合目を過ぎると急速に緑色が減ってきた。
まだ雪の中から目覚めたばかりというような雰囲気。 



いよいよ大山の山頂までの道のりも見えてくる。
なだらかそうに見えるが実際は結構急な登りだ。 



七合目ともなるといよいよ視界を遮るものも無くなり、空の青さと足元に広がる景色が際立ってくる。 



大山の足元に広がる樹海とその向こうには日本海。 



弓ヶ浜の美しいカーブもより鮮やかに見えるようになった。 



八合目付近になると道は少々険しくなる。
浮き石が多いし段差も大きい場所があちこちにある。 



多少の岩場もある。
とはいえ、このくらいの険しさはむしろちょっとしたアクセントとして楽しもうというところだ。
全体的に登山道としては手厚すぎるくらいの整備っぷりなので、こういう場所があってもいいだろう。



ここにきて残雪が姿を現した。
幸いなことに登山道にはかかっていない。
数日前にも降雪があったと聞いたので残雪の状態が気がかりだったのだ。
念の為持ってきたアイゼンは不要のようだ。 



痩せ尾根になっている場所には木道が渡してある。
山体が崩壊するのを防ぐためだが、ここまでしないと山が壊れるって大変なことだ。 



いよいよ山頂が見えてきた。
1700m強の標高しかないとは思わせない迫力がある。 



痩せ尾根を通過しキャラボクの林に入る。
大山に自生するキャラボクを特にダイセンキャラボクと称するが生物学的な違いは無い…とのこと。 



石室方面との分岐に到着。
ここは周回路になっているのでまずは左へ進み山頂を踏んで、帰りに石室に寄ってみることにしよう。 



キャラボクの林の中を木道が貫いていく。 



その木道が行き着く先が山頂手前の避難小屋だ。
小屋の周りにも木道が張り巡らしてあり、絶対に踏み荒らしは許さないという強い意志を感じる。 



避難小屋の裏手にある高台が大山山頂(仮)だ。
登山開始から1時間半で山頂に到着ということになる。
道が良すぎるくらい良かったからなぁ。 



なぜ「大山山頂(仮)」なのかというと、実はここは最高地点ではないのだ。
大山の最高地点は剣ヶ峰なのだが、ここから先は崩壊が進み危険なので立入りご遠慮くださいということになっている。
自己責任ということで立ち入る人もいるようだが、山体の崩壊を防ぐ意味もあるので私はここまでにしておく。 



最高地点でなくても十分に良い景色が広がっている。
果てしなく続く山陰の海岸線。
京都あたりまで見えているのだろうか。 



避難小屋と米子と弓ヶ浜。 



西には大山より高い山は無い。
ここからだとなだらかな中国山地の広がりが手にとるように分かる。 



大山の南面も北面に負けず劣らずの崩壊斜面だ。
角度の関係か未だに日があたっていない場所が多く、黒々とした山肌は不穏な雰囲気すら漂わせる。 



一昨日登った道後山や比婆山、吾妻山が見えているはずだが…どれだろうねぇ…。 



一木一石運動の石置き場が避難小屋近くにある。
一木一石運動とは「登山者に一木一石用に用意されている石や苗木を持って山頂に登ってもらい、それらの石などで山頂の浸食溝を埋めたり、失われた緑を復活させ、大山の山頂を守っていこうというもの」だそうだ。
しかし我々が休んでいる間に石を持って登ってきた登山者は皆無。
今はあまり大々的に行われなくなったのだろうか? 



コーヒーを飲んだりしながらたっぷり1時間近く休憩してしまった。
風は多少あるものの転機が素晴らしく良く、なかなか山頂を離れ難かった。
しかし流石に体が冷えてきたので下山の途に就く。 



まずは石室方面の周回路へ進む。
こちらは山頂の南面から西面にかけてを巡ることになるが足元まで崩壊斜面が迫っていてなかなかの迫力だ。 



登山道は山頂台地の端をなぞるようにして付けられている。
キャラボクの林も木道も何もかもがギリギリのところで山頂にしがみついているようだ。 



キャラボクの茂みの抜けると石室が姿を見せた。
大正末期頃に避難所として作られたものだという。
現在は屋根は抜けてやや荒れた印象。
ちょっと中に入る気はしない。 



石室の前には凡字池という小さな池がある。
毎年7月14日・15日に行われる神事ではここから神水が汲まれるのだという。



ここにきて登山道が残雪の下に埋もれている場所があった。
とはいえ、その長さはせいぜい2メートル。
全行程を通して登山道上に雪があったのはここだけだった。

 

山頂周回路を一周した。
ここからは五合目付近の行者谷コース分岐まで、もと来た道を戻る。 



おおう、こんなところを歩いてきたのか。
登りの時は山頂方向ばかり見ていたので気が付かなかった。
足元もなかなか崩壊しているじゃないの。
これは大げさなくらいの木道が必要なわけだ。
 


何度見ても迫力がある崩壊壁。
逆光だった午前中より輪郭がはっきりくっきり見えて険しさが際立つ。

 

海に向かってダイブするような錯覚を覚える。
鳥海山などと同じく、海抜ゼロから裾野が立ち上がる大山は実際の標高以上に大きな山に見える。
上からの景色も高度感があり、なんだか海に向かって飛び立てそうな気になる。

 

行者谷分岐まで下りてきた。
行者谷コースは下山時の推奨コースとなっている。
…が、雨天時など増水が見込まれる時は通行しないようにとのこと。
なかなか複雑だ。
今日は文句のない晴天なので推奨どおり行者谷コースを下ろう。

 

分岐直後からものすごく急な傾斜が続く。
ほとんどが階段で固められているので歩きやすいといえば歩きやすいのだが同じ筋肉ばかり使うことになる。
すぐに足がプルプルしてきた。

 

ほとんどが下りでの利用のようだが、たまに登りで使う人ともすれ違う。
いやぁ、この急登をあえて登るとは…どMですな(笑

 

急な下りが終わると景色が一変、広い河原のような場所に出た。
屏風のように頭上に立ちはだかる大山が大迫力だ。 



林の中に小屋がある。
元谷小屋というらしい。
こんな岩がれの谷間に小屋なんて建てて大丈夫なのかと心配になる。
小屋の周りに大きな木が生えているところを見ると水や土砂に襲われない場所なんだろうとは想像できるが。

 

小屋の両脇の谷筋は一面土砂に埋め尽くされている。
たしかに大雨の日はここは通らないほうが良さそうだ。 



角度を変えて再び大山を仰ぎ見る。
重ね重ね1700mの山とは思えない迫力だ。
アルプスの風景だよと言われても信じてしまいそうだ。 



このあたりは軽装の観光客の姿も多い。
上まで登らずとも、この景色を見にここまで上がってくる人も多いようだ。 



河原を横断したところに車が数台止まっていた。
林道がここまで来ているらしい。
なんだ、この先は林道歩きか?とがっかりしかけたが… 



林道とは別に徒歩道がちゃんとあった。
よかったよかった。 



ただし階段地獄はまだ続くのであった(笑
あとは下るだけと思っていたので地味に精神的なダメージがでかい。 



樹木の間から建物が見えてきた。
どうやら登山道歩きも終わりのようだ。



道が行き着いた先は大神山神社奥之院。
1800年代前半に作られた社は権現造りのものとしては日本最大級とのこと。 



大神山神社奥之院の脇には下山神社がちんまりと佇んでいる。
参拝登山の帰路に不慮の事故で亡くなった武将を祀っているとか。
げざん神社と読んで無事に下山できるように祈願するとご利益があるという我々登山者のためにあるような神社だ。
…というのは真っ赤なウソなので信じないように。

 

お城のような壮麗な石段を下って奥之院の境内を後にする。 
ここから先は寺社へのお参りに訪れる人や観光客も歩く整備された道となる。
実質的には下山完了といっていいだろう。



境内の入り口には立派な山門があるが、これは廃絶となった別の寺院から移設されたものとのこと。
その際、門の向きをそのままにして運んだため表裏が入れ替わったのだとか。
正直、どっちが表でどっちが裏なのか私にはわからなかった。
扉が奥に向かって開く…とか?



参道沿いには往時の賑わいを偲ばせる遺構が連なる。
例によって明治の廃仏毀釈でその殆どが失われたのだとか。 



僧兵たちが力自慢をしたという石が残っていた。
こういった金銭的に価値のないものは残っているんだよねぇ。
廃仏毀釈の思想・文化的側面というものを懐疑的に思うのはこういうのを見せつけられた時だ。

 

麓には大山寺がある。
拝観料が必要なので山門だけ見て通り過ぎる。 



大山寺の山門をすぎると、あとはよくある観光地の風景となる。 



噂のモンベル大山店の前を通り… 



南光河原駐車場に戻った。


初めて登った大山だが、まずは丸太でガチガチに固められた登山道が印象的だった。
崩れやすい大山を保護するために長い年月と手間暇をかけて作られた道だ。
ありがたいことだとは思うけど登山としては単調すぎるきらいがある。
正直なところ、途中までは「これは飽きるパターンかなぁ」と本気で思っていた。

そんなマイナスの印象だが六合目で眼前に展開した大山の山岳風景を目の当たりにして消え失せた。
まさに目が覚めるような大パノラマ。
あの風景を見るだけでも登った甲斐があるというものだ。

痩せ尾根、キャラボクの林、そして剣ヶ峰へと連なる稜線の景色…。
六合目から山頂までは次々と景色が変わる怒涛の展開となる。
比較的短時間の間に景色が目まぐるしく変わるので、あっという間に山頂に着いたような気分になった。

上からの景色も素晴らしいが、帰りに行者谷の河原から眺めた大山の姿もまた迫力があり一見の価値があった。
まるでアルプスみたい…というのは、あまりにも陳腐な表現だろうか。
人を寄せ付けない崩壊斜面の厳しさは2000mに満たない標高を忘れてしまうようなダイナミックな山岳風景が強烈な印象を残した。

満を持して挑んだ伯耆大山。
山はその意気込みに十二分に応えてくれた。
また一つ、忘れられない山行の思い出ができた。

おしまい