パリ・デューデリ編 Due Diligence その4 (118) | Across The Border (国境を超えて)

パリ・デューデリ編 Due Diligence その4 (118)

MASAは、2週間のバカンスから戻ったスタッフより、
パリでも有名な三ツ星のレストランへの呼び出しを受ける。


スペイン人のこのスタッフとは、時々一緒に
パリのクラブにナンパをしに行っていたと言う。


MASA:

この男、僕から見てもかなりの色男で、
ウイットにとんだ巧みな話術で成功率が高かった。。。


つまり僕は引き立て役でしかありませんでしたが、
何故だかこいつとは気があったのでした。


この日も、
「ナンパした女性の嗜好に合わせただけだろう、、、
そして僕が「お財布役」だろうな、、、」


などと考えながら、
いつもの調子の軽いのりでレストランに入りました。



Across The Border (国境を超えて)




















MASAが給仕に案内されて向かうと、
彼のテーブルには男性が二人同席していた。


MASAはいつもとはちがう彼の振る舞いに、
即座にぎこちなさを感じ取った。
そしてその緊張感がMASAにも伝播したという。


MASA:
うやうやしく僕を二人に紹介する彼。。。
明らかに上質のスーツに身を包んだ二人の男性は、
気品と品格が満ち溢れているといった印象でした。


それは多少の息苦しさを感じるほどの雰囲気を
かもし出していた方々・・・でした。


初老の男性は、彼の父親であり、
もう一人の50代であろうと思われる紳士は
その父親のビジネスパートナーだった。


彼らの話は実に単刀直入だった。
テーブルに出されたMASAのDD報告書を指差して、


「これをまとめたのはキミか?」


食前酒すら手を付けるまもなく質問が始まった。


MASA:
報告書に明らかな手落ちがあり、
その事によって何かが起きたのではないか??


評価を求めてしまった為に、
報告先の相手に対して損失を出してしまったのか??


僕は瞬時に複雑な思いになった事を覚えています。

しかし、僕の不安そうな顔を悟った彼らは、笑いながら
「キミが心配しているような事じゃない」
と言いました。


そう言われても緊張感は解けませんでしたが
友人の顔が笑顔だったのを見て
初めて緊張感をほどく事が出来たものです。。。


MASAの調査報告は、同時期に有償で行われた
専門機関の報告書とほぼ同一の内容であり、
結論値に関する箇所は、
その機関よりも多少だが実質値に近いものだった。


そして、彼らはMASAが

【どのような根拠と視点】

から調査を実行したのか?


調査内容の結論は
【どのような過程と思考】

によって導き出されたのか?
を、時間をかけながら聞き出して来た。


MASA:
そう、彼らは僕を「値踏み」に来たのでした。


そんな事も知らず、空気も読めないまま、
僕は美味しい三ツ星の料理に舌をうち、
おそらくは高価であろうワインをたっぷり頂きながら、
素直すぎるほどの受け答えをしたものです。


今にして思うと、もう少し「計算高く」というか
「賢く」受け答えをした方が良かったのではないか?
と思いますね。


自分の仕事をそれまで第三者に評価されていないことは
僕にとって、ある種のフラストレーションを感じるものでした。


その調査の根拠や過程の質問などは、
それを解放させるものでもあり、
僕は堰を切ったように話していました・・・


僕は相手の質問に答えるだけで、
相手の素性やバックグラウンドの話、
そして報告書がそもそも何の目的で
必要とされていたのかなどに関しては
まるで興味を示さなかった。


きっと、僕の調査がなぜその結論にいたったのか?
僕の考え方の過程を、誰かに聞いてほしかったのでしょう、、、


コース料理の食事がデザートまで進んだ頃、
彼らがMASAに一つの提案を持ち出してきた。

彼らの専属として、DD業務を受けてみないか!?

・・・ということだった。


つまり、これは事業をベースとした提携であり、
しっかりとしたフィーも発生すると同時に、
責任も発生する話である。


MASAは、今度はきちんとした仕事として、
次もあるということを知り、
彼らが、このDD報告書を一体何に活用するのか!?
という疑問が出てきた。



その時初めてその事を質問した。

・・・彼らは、機関投資家であり、
様々な国の事業や不動産への投資を生業としており、
そのための事前調査としてDDを必要としているということであった。


MASA:
その時、僕は投資とか投資家という
存在があることは理解していました。


バブル期の東京には、沢山の投資家が存在し、
そんな彼らこそが僕の顧客でもあった訳です。


しかし、僕自身がそれらの方々と
対等な知識を有している訳など無く、
当時の僕にとっては別世界の方々でしかありませんでした。


そして今、目の前に存在する彼らは、
国を超えて様々な価値観と多様性を深く理解しつつ、
その知識をビジネスにつなげている存在でした。


そんな彼らから、少なくとも多少の評価を受けた事に、
僕は大変な満足感を得たものです。


高校卒業後、たった一人で田舎を出て、
誰も知らない東京で生活を始めたこと。


東京時代には、様々な精神的リンチを受けつつ、
6年間、食うや食わず、
眠る時間も惜しんで働き、
実家の債務を完済したこと。


何のあてもなく、パリに飛び出して、
ガイドの仕事ならフランス語ができなくても
自分にできるとすぐに仲間を集めて起業したこと。


そして、その仕事がうまく行くとともに
各国から来た優秀な留学生のスタッフから
知識の大切さを学べたこと、、、


MASA:
過去の、どの一つが抜け落ちても、
今に至っては居なかったのではないだろうか?


あまり自分の過去を振り返ったり、
自分の人生に対してリスペクトしかねていた僕でしたが、
この時はじめて

「悪くなかったのかもしれない」

と思えたのかもしれない。。。


仕事の話の後も、会話はいろいろな方面ではずんだ。

友人である彼も、この辺りからは積極的に話にまざり、
最初の張りつめた緊張感は去り、
広い世代の者たちが世間話をする場となっていた。


場所は、パリの有名な高級レストラン。
多少 若いMASAたちには、場違いとも言えた。


しかし、年配者の紳士たちは、その場を
見事に仕切り、MASAたちもリラックスして
話をすることができた。


レストランの給仕は、テーブルでの会話や
雰囲気をさえぎることもなく、
とてもスムーズだった。



まさしくノーブルな雰囲気に包まれたそのテーブルでの出来事は、

MASAの記憶に残る夜となった。




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