1983年夏
第4回横浜ホットウェーブフェスティバル決勝大会
横浜の山下公園に面した
神奈川県民ホールで行われた
キャパシティーは2500人
自分らにとって今迄で一番多くの人の前での演奏
音楽の甲子園と呼ばれていて
スタッフも高校生だ
実行委員会があり実行委員長は小林君
副実行院長が朝川さんと高坂君
その下に企画班とか音響班、広報班,美術班などがありすべて高校生だ
渋井ちゃんを筆頭にしのぶ、優子ちゃん、京子ちゃん、べっち、三谷なんかがいた広報班は
特に仲がよくなったしデビューするときの強力な味方になってくれたんだ
企画班の山純や音響班のもちた君や江田ちゃんも今でもつながりがある仲間だ
自分らにとってやっぱり大切な大会だ
2500人を前に入場だ
自分たちの制服だ
下北沢にあるジーンズメイトで買ったんだけど
結構お気に入りで
テレビ東京の踊れバンバンに出たときも
このTシャツだった
仲がよかったドロシーも入場だ
ミクシーでマイミクだ
今でもつながっているっというのが楽しいね
ペーパームーンの曲もよかったな
私らしくーーふるまえる今日もーーー♪
面白かったのが
上野知己&エキサイティングというバンドが出場したんだけど
そのバイオリンを弾いていたやつが時々こっちを見るんだよ
おとなしいやつでロンゲで???と思っていたら
なんと小学校の同級生の関君だった
しかも仲がよく一緒に
世田谷の砧にあった清水建設の寮にあった合気道の道場に通っていて
いつも稽古を一緒にやっていたんだよね
なんか声かけにくかったって・・・水臭いぞ関(笑い)
このころはフォークもはやっていて
ソロ者やアルフェイムはそのにおいがしてたしウタマロもいい感じだった
インストロメンタルのゼログラビティー
よくヤマハでもあっていたYTJ
このバンドは人気があった
ドラムは筋肉少女帯にその後加入したな
でも一番人気があったのはヘブン
今夜こそベーイビ-♪
は忘れられないフレーズだ
フリーウェイもよくしゃべってた
バンドテクニック的にはいちばんだったんじゃないかな
ドラムの山田はイリサのライバルだ
インフルエンザCはホットウェーブ常連バンド
運営会社を皮肉った歌はインパクトが強くてたびたび衝突してたな
ジャーマンスープレックスホールドも元気のいいバンドだった
でもやはりマスカレードだろう
とにかく歌がうまい、聞いた瞬間にベストボーカル賞はあきらめたね(笑い)
ボーカルのとし子ちゃんはその後フリーウェイのドラム山田と結婚
時々ライブにも遊びに来てくれるんだ
応募曲のロードも名曲だけど
その後にホットウェーブ祭りでやったあの夏に戻りたいは
ホットウェーブを代表する曲になっていったんだ
とにかく4回出場バンドの曲はみんなよくて
なんか同窓会ライブをやりたくなるよね
さていよいよ演奏だ