「いずれは結婚するつもり」は、イコール「結婚したい」じゃないからね。そりゃ年収が低ければ、異性と交際する気になれないし、そんな自分が魅力的とも思えない、のかもしれないけどさ。

 

 

広く一般に「切実」という感じでもないように思うのだけれども、政治的には「少子化対策」をマクラにすれば、増税はもちろん、文化・倫理の破壊もオッケーという雰囲気すらあるようで。

 

ついにこんな「対策」まで出てくる始末・・・

 

 

●大村(愛知県知事)さん💦

 

 事実婚のカップルにも共同親権を認めるなど婚姻に準じた法的保護を与える制度の創設を、愛知県が政府に要請することが、19日わかった。8月にも法務省などに要請を行う方針。都市部を抱えながらも人口減少が続く愛知県は、同様の制度を持つ欧米諸国の出生率が日本よりも高いことに注目。事実婚カップルの法的保護により、国内の少子化対策に一石を投じたい考えだ。

 

 県によると、事実婚カップルの子供は原則として母親の単独親権になるなど、法的保護を受けにくい。一方、新生児の約6割が婚外子のフランスでは、事実婚でも婚姻同様の親子関係を認める制度がある。経済協力開発機構(OECD)の統計によると、2020年のフランスの合計特殊出生率は1・79で日本の1・33を上回っており、同様の制度があるスウェーデンも1・66、アメリカ1・64となっている。

 

 県は、〈1〉事実婚でも子の共同親権を認めるなど婚姻に準じる登録制度を創設し、民法改正など必要な法整備を行う〈2〉出生届の嫡出、非嫡出の記載廃止など婚外子差別につながる法制度の見直し〈3〉事実婚のパートナーの手術への同意など社会慣行について関係者の理解促進に取り組むこと――を政府に要請する方針を固めた。

 

 

 

いや、その・・・日本で「事実婚でも良いなら子供産むよ」という女性が、そんなに(出生率を有意に上げるほど大勢)居るんですかね。

 

 

率直に言って、(宗教的背景を含め)法律婚の重さが違う(日本のように紙一枚で簡単に結婚・離婚できない)欧米を参考にしても、碌なことはない、とワタクシは思います。

 

何か、少子化対策にかこつけて、かねてからの懸案事項をうっすらリベラルさん達がねじ込もうとしているふうに見えなくもないですし。

 

 

ちなみにyahooニュースの方では、大塚玲子さんという人の、こんなコメントがトップに表示されてました。

 

十分現実的な案と思います。いま現在も事実婚のカップルは税関係を除けば法律婚のふうふに近い扱いを受けられる部分がいろいろありますし、子どもの利益を最優先に考えれば共同親権を認めるのは特に不自然なことではないと思います。 事実婚のふうふや同性カップルに限らず、もっと広く共同親権が認められていいのではないでしょうか。少子化対策はじめの一歩になるのでは。

 

 

 

 

う〜む・・・

 

確かに「共同親権」それ自体は「子どもの利益」に適うのかもしれないけれども。

 

 

だから「事実婚のふうふ」「同性カップル」も同等にと言うなら、

 

だったら法律婚の意味とは何じゃらほい。

 

という話で。

 

事実婚や同性婚について論じること自体は、別段構わないのだけれども・・・

 

 

●フランス見習え論の虚実

 

こちら、書店で目が合った「Wedge」8月号ですが「少子化対策」を特集してます。

 

 

 

結婚・出産を望まないのは、若者・子育て世代のワガママであり、自分たちが選んでいること―。こう思う人がいるかもしれない。だが、経済情勢から雇用環境、価値観に至るまで、彼らを取り巻く「すべて」が、かつての時代と異なっている。少子化を反転させるため、岸田政権は異次元の少子化対策として経済支援の拡充を掲げるが、金額だけ次元の異なる政策を行っていても、少子化問題の解決にはつながらないだろう。もっと手前の段階でやるべきことがある。それは、若者や子育て世代の「本音」に耳を傾けることだ。

 

 

 

その目次がこちら。

 

 

 

それなりに目配りが効いている、のかな?

 

 

で、これは、たまたま、なんでしょうけれども〈フランスの高出生率を支える「家族政策」の理念と実践とは〉というインタビュー記事も入ってますね。

 

もちろん、某県知事さんが言うほど単純な話ではなく、彼の国の歴史的背景とか、そこから生じた一般国民の意識とかにも触れていて、興味深いものではありました。

 

だからこそ、その上澄みとしての政策だけを日本に持ってきても上手く行かないでしょう、と思うわけですが。

 

 

ちなみに、冒頭ニュースの数日前には、こんな記事もありました。

 

(中日新聞7/15-5面)

 

 

「気候変動問題などで将来を危惧する若年層が増えた」のかどうかはともかく「経済支援よりも安心できる未来がイメージできる政策を打ち出さないと」というのは、まあ、そうですかね。

 

 

だいたい、(他国のことは置いといて)日本では、生涯未婚の人が増えていて、かつ、結婚した夫婦が持つ子供の数自体はそれほど減っていないわけで。

 

 

つまり、問題があるとすれば、それは少子化ではなく、少婚化の方なのですね。

 

 

ならば果たして、今時の若者は結婚「したくない」のか「したくてもできない」のか・・・

 

●「本音」は何処に?

 

「Wedge」特集でも触れられていますが「国立社会保障・人口問題研究所」による調査というものがありまして。
 

 

なるほど「いずれは結婚するつもり」という人が、男女とも8割以上いるのですね。

 

 

 

そして「Wedge」では(というか、多くの人が)、これとは別に「男性では収入が高いほど婚姻の割合が増える」といった類の調査結果を持ってきて、そこから「年収が低く雇用が不安定」だと(だから)「恋愛や結婚をしたくてもできない」人が増えているのだ、と言っています。

 

 

世の少子化対策は、それを大前提として論じられているのですが、ワタクシなんぞは、いやいや、ソコからして、すでに「本音」ではないでしょう、と思うわけでして。

 

 

「いずれ結婚するつもり」の人に、さらに質問を重ねると「理想的な相手が見つかるまでは結婚しなくてもかまわない」が、ほぼ半分だったりするんです。

 

 

 

さらには「結婚意志のある未婚者」と言っても「積極的な結婚の動機がない」から独身のまま、という人まで含んでいるそうで。

 

 

https://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou16/JNFS16gaiyo.pdf

 

 

 

う〜ん、ここまでくると、やはり・・・

 

「結婚したくてもできない」なんて、おためごかしじゃないですか?

 

と問いたくなりますね。「できない」じゃなく「しない」だけだろう、と。

 

 

●本当は「問題」ですらない?

 

実は「少子化」自体、本当は問題ではない、という意見もありまして。

 

こちら、高橋洋一さんです。

 

 

2020年代 労働力人口が5年間で300万人減り、日本経済が大打撃を受ける!
2030年代 地方の生産年齢人口が激減し、地方税収が落ち込む!
2040年代 自治体の半数が消滅の危機に陥り、行政運営に支障が出る!
2050年代 団塊ジュニア世代の高齢化で、社会保障制度が崩壊の危機に!
2065年 2.5人に1人が高齢者となり、日本は貧しい国になる!

 

だから、どうした?
人口が減ると、何か問題でも?
経済学者・高橋洋一が、いま話題の「未来年表」を一刀両断!
人口減少危機論を煽る黒幕の正体を暴く!!

 

 

 

ワタクシ自身、ここまで言い切るのは、ちと憚られるのですが。

 

 

せっかくなんで〈序章「人口減少危機論=人口増加幸福論」の罪〉だけ目次を。

 

人口減少が危機だと叫ぶ人の正体

解明できていない出生率低下の要因

地方の事例は都市部には役立たず

子どもを「コスト」と考える親はいない

出生率増加に効果的な人工妊娠中絶の禁止

海外では割合が高い婚外子

世間のムードで変わる出生数

政府は人が減ることに危機感を抱いてはいない

 

 

こちらの記事が本の中身を紹介しています。参考までに。

 

少子化や人口減少は「国難」ではなく、そこから生じる「弊害」はいかようにも対処可能で、むしろ少子化や人口減少の危機を過剰に煽ることが問題解決を誤らせると、筆者は長年考えてきた。

 

ゆえに、本書は得心のいく議論ばかりであった。

 

 

 

 

●何よりもまず「ネガティブキャンペーン」をやめませう

 

してみると、巷間繰り広げられている「少子化対策」なるもの、間違った問題意識、間違った前提で論じられている、ということかもしれません。

 

実際、乱暴に言ってしまえば「本当に結婚したければ、何を置いても結婚しますよね」くらいのもので。

 

 

しなしば指摘されるように、世の中便利になって、一人で暮らしていてもそれほど困らないし、娯楽もそれなりにあるし、だったら、逆に「面倒」なこともある(だから良いのだけれども)結婚は、多くの人にとって優先順位の一番にはならないでしょう。

 

 

結局、しない(できない)理由を聞かれれば、お金の問題、仕事の問題、その他種々諸々挙げることはできるでしょうけれども、それらが満たされなければ結婚しない(できない)と言うのであれば、所詮、その程度・・・

 

 

もう、放っとけば、です。

 

 

放っておいて、それで、本当に日本の人口が激減して経済が衰退して不便で娯楽の少ない国にれば、自ずと「他にすることがない」ということで、結婚して子供を産む人が増えるかもしれないし。

 

 

いや、それでも放っておけない、と言うのであれば、まずは、正規雇用でないと結婚できないとか、(主に女性が)キャリアを捨てられないとか、妊娠・出産との両立は大変とか、教育にはお金がかかるとか、とかとか、そういう「ネガティブキャンペーン」をやめませんか。

 

(決定打ではないにしても、在るに越したことはない)子育て支援策に、いちいち不公平だと噛みつくとか、ついでに「産休・育休ずるい」とか「子供がうるさい」とか、そういう口撃もナシでお願いします。

 

 

下記みたいな記事もね、全否定はしませんが、だったら、「生まれて良かった」「是が非でも子供を持ちたい」という記事だってあって良いでしょう(実際、そっちのほうが多数でしょうし)。

 

 

 

政府にしても、口では色々言ってますけど、それはつまり、体よく増税できるから、じゃないんですか、という気がしないでもありませんし。

 

 

●基本、結婚は目出度く、出産も目出度い。

 

もとより、結婚・出産は人それぞれの価値観・人生観に係ることであって、政策として口出しするものではない、という面もあります。

 

 

とはいえ、スタンダードな(だけど触れてはイケナイ?)話として、ことに出産については、生物学的に年齢制限があるのは間違いのないことで。

 

例えば子供3人を30歳までに、と考えたら、そこから逆算して「結婚適齢期」なるものが存在するのは確かなことで。

 

したら、結婚は、それなりにキャリアを築いてから、なんて言ってたら、それだけで「望むだけ子供を産む」のは難しい話になってしまいす。

 

 

度々書いていることですが、やはり、結婚・出産時には、それを「専業」として、子供が手を離れるに従って「社会復帰」、40歳くらいから「正規雇用」という筋道も広く一般に用意していかないと。

 

いや、いっそ、正規・不正規の別を無くしちゃう方がスッキリするかもしれません。

 

 

いずれにせよ、全ては些末な話。

 

 

自分自身が当事者になるかどうかは別として、人一人、この世に迎え入れるのは、それだけでスゴイことなんだ、という共通認識を持ちたいもんです。

 

 

 

 

 

 

🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥

 

 

岸田さんの口から出ると、ほとんどが「だから増税します」に聞こえてしまう。それなりに良いこと言ってるんですけどね。

 

 

いろいろな取組を 進めていかなければならないと思いますが

具体的な制度や支援は もちろん、政治や、国や行政が 責任を持って考えますが

ぜひみんなで こども・子育ての素晴らしさと大切さ

これを理解して応援しあえる みんなでバックアップできる

こういった社会を 皆さんとともにつくっていきたいと改めて思いました

 

 

 

🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥 🍥🍥🍥

 

 

こちらの3本、興味深いです。お時間あればどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ  にほんブログ村 ニュースブログ 気になるニュースへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ にほんブログ村 地域生活(街) 中部ブログ 豊橋市情報へ
 

      

 

 

 

件の記事のコメント氏、わざわざ「ふうふ」と仮名書してるのですけれども。これは、「意識高い」人にありがちな「婦」の字が云々というヤツかなと。

 

どういう表記をしようが人様の勝手ではあるのだけれども、お友達にはなれそうもない、ですね。

 

 

こちら、大修館書店による解説です。

 

これはなかなか難しい問題です。たしかに、一般に「婦」は「ほうきを持つ女性、掃除をする女性」を表す、とされています。これは、中国で紀元1世紀ごろに作られた『説文解字(せつもんかいじ)』という字書に載せられている解釈で、この解釈は20世紀に至るまで、長い間支持されてきたものです。
 

それに対して、最近の研究では、少し違うことが言われています。「婦」はたしかに「ほうきを持つ女性」を表しているのですが、その「ほうき」が、私たちの知っている「ほうき」とはちょっと違うようなのです。紀元前の中国では、それは、神殿の中を清めるために用いられる道具であって、単純な掃除道具というよりは、宗教的な儀式に用いられる重要な道具だったというのです。
 

この説によれば、「婦」のもともとの意味は、「掃除を始めとする家事一般を行う女性」ではなく、「宗教的な儀式で神殿を清める役割をする女性」ということになります。
 

このように、「婦」の字源にはいろいろな考え方があるのですが、最初に申し上げたとおり、「掃除をする女性」という説が長い間、大きな力を持っていたことも事実です。このため、この漢字は女性を家事労働に縛りつけるようなイメージを持たされることがあるのです。
 

字源説という学問的なレベルとはまた別に、「婦」という漢字がそのような背景を持っていることは、気にとめておいてよいのではないかと思います。

 

 

 

 

「意識高い系」の表記といえば「子ども」もそうなんですが・・・

 

こちらは、とある人のブログ記事。

 

「子供」反対!

・「お供(とも)」大人のお供をする存在と感じられる

・「お供え物」神への奉げものの意味につながる

・「供」は当て字でこの漢字を使う意味がないので、ひらがなを使うべき

・「子ども」のほうが、漢字を使うより柔らかい印象がある

「子供」賛成!

・小学生で習う教育漢字なので、混ぜ書き(子ども、憂うつ、など)はおかしい

・「供」は当て字だが、複数を表す「とも」が由来なので、差別など深い意味はない

・子どもは「○○ども」複数人を罵って見下した表現をしているように感じられる

 

 

 

ワタクシ自身「子ども」という表記は「者ども」「野郎ども」の「ども」に見えてしまう人です。