ワタクシ的に、G線上にある産経新聞(購読を続けるべきか止めるべきか、それが問題だ、の意味)。

 

とりあえず踏み留まってる要素のひとつが桑原聡さん、月2回掲載『モンテーニュとの対話』です。

 

で、先日、カミュの『戒厳令』について書かれていました。

 

 

カミュの戯曲『戒厳令』

 

 仏文学者、中条省平さんの『カミュ伝』(集英社インターナショナル)に導かれてカミュの戯曲「戒厳令」(大久保輝臣訳)を読んだ。長編小説『ペスト』で成功を収めたカミュが、映画「天井桟敷の人々」(マルセル・カルネ監督)で主役を演じたジャン=ルイ・バローの依頼を受けて書いた作品だ。初演は1948年10月27日、パリのマリニー劇場。演出はバロー、音楽は「フランス6人組」のひとりであるアルチュール・オネゲル、舞台装置と衣装はバルテュスが担当した。なんとも贅沢(ぜいたく)な布陣である。

 

という作品だそうで。

 

 対独レジスタンス運動に身を投じたカミュのこの作品の根底に、個や多様性を徹底的に踏みにじる全体主義への嫌悪があるのは間違いない。「大切なのは個であり多様性だ」と普段から口にしている人間も、危機にひんすれば、頼りになりそうな大きな傘の下に逃げ込もうとするものだ。そうした人間の弱さと醜さ、そして人間社会のもろさをカミュはペスト禍を通して描き出しているように思う。

 

というのが、桑原さんの捉え方。今回『随想録』関係ないですよね、というツッコミはこの際置いておきましょう。

 

 

 

記事でも触れられてますが、ちょうど今、公演中の舞台もあるとのことです。

 

 

 

スペインの港町カディス。
ある夜、彗星の光が町を覆った。
数日後、夏の陽光に市場も民衆も活気づくある日、
一人の男が女を従えて現れ
町には戒厳令が敷かれる。

男の名は―――ペスト。

 

 

 

う〜ん、興味はあるのだけれども、「県境を超えた移動は控えるようお願いします」な世の中ですからねえ。

 

 

そんなわけで、ワタクシも又聞きならぬ「又導かれ」で、まずは読んでみようかと。

 

こちら『戒厳令 現代フランス戯曲叢書』図書館本です。

 

 

昭和27年発行、もちろん閉架もの。

 

 

以下、ネタバレ含みますが、そもそも戯曲ですし、実際の舞台は演出次第ということで。

 

とりあえず、今、この時の気分で、心に響いたところを引いてみようかと思います。

 

(原文は旧漢字(正漢字)、旧仮名遣いですが、読みやすいよう適宜改めました)

 

 

序 禍は突然に

 

まずは第一部、プロローグから。

 

彗星出現で騒動とも狂騒曲ともつかぬ渦中の町。なのに、警戒も顧慮も必要なしとする総督布告。青年2人。

  ディエゴ:愚劣なことさ! 嘘をつくのはいつだって愚劣なことだ。

 

ナダ:そうじゃない。それがつまり政策ってもんさ。しかも、俺はそいつに賛成なんだ、なにしろすべてを抹殺しちまおうってのがその狙いなんだからな。まったく、結構な総督がいて下すったもんだ!

それは嘘なのか政策なのか。はたまた何者かによる“陰謀”なのか。

 

 

で、ここから本編。

 

ディエゴとしばらく会えずにいたの恋人ヴィクトリア。

  ヴィクトリア:何が変わったっていうの、あたしたちの間で、ねえ、ディエゴ? もう何時間も、あたし、あなたを捜してたのよ。災難があなたにも降りかかるかも知れないと思ったら、もうぞっとしちゃって、町じゅうを駆けずり廻ってたの。そうして、やっと会えたと思ったら、こんな苦しそうな、病気のマスクなんかかぶってるんですもの。それをぬいでちょうだい、ねえ、ぬいで、お願いだわ。しっかりあたしを抱きしめて!

 

しかし、確実に町の様子は変わり、日常は遠のいていく。

  首席政務官:総督府命令。本日以降、共同の災禍に対する贖罪にのしるしとして、また伝染の危険を防止する目的を以て、公共の集会はすべて禁止され、あらゆる遊楽は禁じられる。且つまた……

ほどなくして“対策”が始まる。

 

そして現れたのは“ペスト”とその女秘書。

  女秘書:本命令は、従って、われらの敬愛せられたる主権者の意志の全き服従のもとに公布せられたる政令に代る効力を有するものにして、病毒に感染せる市民の統制及び慈善的救済を制定し、並びにすべての規則及び監視人、番人、執行人、墓掘人等、彼等に與えられたる命令を厳重に実施すべきことをその誓約とする全ての人員を指示するものとす。

 

首席政務官:なんという言い廻しです、それは?

 

女秘書:こうやって、多少不明瞭なのに慣れてしまうようにさせるんですわ。わからなければわからないほど、みんなよくついて来るんですから。それだけ申しあげたら、ここにいろいろ法令がありますから、それを次々に市中へふれ歩かせていただきたいんですの。一番血のめぐりの悪い人たちでも、そうやって、楽にこなせるようにしてやるんですわ。

「わからなければわからないほど、みんなよくついて来る」と知る者達は悪辣だ。そうして「いろいろな法令」がなし崩しにエスカレートしていく。まるで箱根の山の向こうの緑の人みたい。

  伝令一:病気の侵入せるすべての家屋は、五光の一つを黒く塗り、『われらはすべて同胞なり』との銘を附したる星型のしるしを、扉の中央に記すべきものとす。星じるしは、厳重なる法の禁令のもとに、当該家屋の再開まで維持せらるべし。
  伝令二:第一級の必需品は、今後すべて共同体の処理に委ねられるものとす。即ち、この新たなる社会に正当に所属することを証明し得るすべての者に、均等且つ最低の配分を以て分配せらる。
  伝令三:すべての灯火は午後九時を以て消灯し、いかなる個人も、極めて僅少の場合にのみ、また常に自由なる認定に基づき交付せられる、所定の形式の通行証を所持することなくしては、公共の場所に滞留し、或いは街路を徘徊することを得ざるものとす。この措置に違反する者は、すべて法規の定むるところに従い、厳重に処罰せらるべし。
  伝令四:すべて疫病に冒されたる者に救助を加うることは、その任に当るべき当局にこれを通告することに非ざる限り、厳重に禁止せられる。同一家族の成員相互間に於ける通告は特に推奨され、褒賞として、良民配給と呼ばれる、二倍の食料配給の割当てを受くるものとす。
  伝令五:最後に、且つこれはすべての要約ともいうべきものである。空気の伝播による伝染をいっさい防止するため、言語すら感染の媒介たり得る実情に於て、住民各自は酸を浸したる填め綿を常住口中に含むべきことを命ぜらる。それにより病毒より予防せられると共に、おのづから謹慎と沈黙の方向に導かるべきものとする。

あー、これはもう言わずもがな。でも言っちゃう。政府対策分科会とか厚生労働省とか、日本医師会とか全国知事会とか・・・

 

  ペスト:わたしは支配している。これは一つの事実であり、従って、一つの権利である。しかし、これは論議を許さぬ権利だ。諸君は順応せねばならぬ。

 

〜〜〜

 

よい死に方をするために、列に並ぶこと、これが即ち主要な点である! この代償と引きかえに、諸君はわたしの厚意をかち得るであろう。しかし、不合理な思想や、諸君の所謂精神の激情や、大きな反逆を作り出すささやかな熱意などに、用心することだ。わたしはそういう勝手な満足は抹殺して、それに代えるに論理を以てした。わたしは差別と不合理が大嫌いなのだ。

ここでの“ペスト”はもちろん、今日の新型コロナウイルス感染症と捉えちゃうのが人情というヤツでして。

 

ワクチン接種の列に並んでも(検査しないから)感染しないけど、外食するだけで(検査されて)クラスターが起きる、この理不尽。

 

 

破 危機に乗じて蔓延る全体主義

 

第二部。

 

“危機”の最中、示すべき公民的精神とは如何に?

  漁師:わしは、いつだって、おんなじこの町の人間のために尽して来たよ。物貰いが来りゃ、なんかよさそうな魚を持たせず帰したこたあないんでさ。

 

女秘書:そんな風な答え方は許されていませんわ

 

首席政務官:いや、この点なら、わたしから十分説明してやれます。公民的精神となると、あなたもお考えのように、これはわたしの本分ですからな。こっちの知りたいことはだ、いいかね、君が、既存の秩序を、それが存在しているからというだけの理由で、尊重する人間かどうかということなのだ。

 

漁師:尊重しまさ、そいつが正しくって理屈に合ったもんならね。

 

女秘書:あやしいわ! 書き入れてちょうだい、公民的精神は疑わしいって! 

 

個人の自由尊重と全体への奉仕。危機認識の濃淡が分断を生んでいく。

  ナダ:そいつは偶然じゃないさ。ここでやろうとしていることは、みんなおんなじ言葉を話していながら、しかも誰一人お互いに理解し合えないないようにするってことなんだ。そこで、お前にもはっきり教えてやるがな、俺たちや完全無欠の瞬間に近づきつつあるのさ――誰も彼もがしゃべっていながら、まったくそれに応ずるものがない、そうして、この町で鎬を創る二種類の言葉がお互に飽くまで相手を破壊し合って、その挙句、すべてが、沈黙と死という究極の完成に向って、どうしても進んで行かなきゃならなくなるってわけだ。

 

〜〜〜

 

万歳! 誰一人、もうお互に理解し合えなくなった。いよいよ、完全無欠の瞬間だ。

あー、何か、胸が痛い。

 

  ペスト:しるしをつけろ、そいつに! そいつら全部にしるしをつけろ! たとい彼等が言わぬことでも、まだ聞えんわけではない! 彼等はもう抗弁することはできぬが、彼等の沈黙は軋むような音をたてている! 彼等の口を圧し潰せ! 猿轡をかませて、第一義の言葉を教え込むのだ。いつも同じ言葉を彼等も繰り返すようになるまで、結局、われわれの必要とする善良な市民になるまで、やるのだ。

マスメディアはもちろん、ビッグテックによるSNSプラットーフォームも・・・

 

 

急 日常を生きるのが保守主義

 

そして第三部。

 

“恐怖”による支配とそれに対する抵抗。

  ディエゴ:もう、びくびくするな、それが条件だぞ。みんな起ち上れ、起ち上れる者は! なんだって尻込みるんだ? さあ、顔をあげて、今こそ、矜りをもつ時だ! そんな猿轡など投げ棄てて、僕と一緒に叫ぶんだ――俺たちはもう怖くないって。

そう、怖くないんです。だって(インフルエンザよりも)死んでないんです。

 

  ディエゴ:早く! 仕事にかかるんだ! 君たちは、瞞されたんだ!

 

ペスト:彼等が恐れる時は、自分ら自身のために恐れる。しかし、彼等の憎しみは、他人に向けられるものなんだ。

 

ディエゴ:恐怖もなく、憎しみもない――それが、われわれの勝利なのだ!

恐怖はつくられた、いや騙られたもの。故に憎悪は必要のないもの。

 

  ペスト:見ろ、このわたしを。それこそ、力そのものだ!

 

ディエゴ:その制服をぬいでみろ。

 

ペスト:とんでもない話だ!

 

ディエゴ:さあ、ぬいでみろ! 力を恃む人間が制服をぬいだら、まるで見栄えがしなくなっちまうのだ!

 

ペスト:そうかも知れん。だが、彼等の力というのは、制服というものを考え出したということなのだ!

 

ディエゴ:僕の力は、その制服を拒むことだ。

ここで制服を“正義”と、あるいは「大切な人を守るため」と読み替えれば・・・

 

で、“ペスト”は去るものの・・・

  ナダ:見たか、おやじ、政府はいくら変わっても、警察はそのまま残ってるんだ。だから、正義ってものは、ちゃんとあるわけさ。

 

コーラス:そうではない。正義というものはなくて、その代り、限度というものがあるのだ。そうして、なんにも規則で縛らないと称する連中も、また、すべてに規則を定めようとする連中も、どちらも同じように、限度を踏み越えているのだ。さあ、門をあけろ、風と塩気がこの町のよごれを吹き払ってくれるように

 

「ゼロコロナ」も「コロナは存在しない」も、信じるのは自由。ただ、どちらも正義ではなく、絶対でもない。

 

ということで良いかな?

 

 

この『戒厳令』、期待値が高すぎて、初演当時の評価はぱっとしなかったようです。

 

まあ確かに、ちょっと技巧に走り、詰め込みすぎの感はあるかも、ですね。

 

とかさ、高校時代、演劇部で中部大会まで行った(という過去の栄光にすがる)身としてエラソーに言ってみる。

 

 

人為を信じることと、人という存在を信じることと

 

「人のため」と言う人は、いつか「人のせい」にする。

 

「自分のため」と言える人は、いつだって「貴方のおかげ」と言える。

 

 

一方で、人為でウイルスを制御し、ワクチンで感染を抑止できるとする傲慢。

 

他方で、神なりサムシング・グレート(何か偉大なるモノ)なりの存在を感じ取り、抱く恐れと戦き。

 

 

ことは生老病死に係るから、そりゃ相容れないところは、どうしたって出てくるよ。

 

だからといって人同士で争う必要はない。

 

互いに、静かに距離を取れば良いではないですか。

 

門をあけて、風と塩気を浴びて、心の汚れを吹き払おう。

 

僕らには・・・“ペスト”が望むところに従わなければならない理由なんて、ひとつもないのだから。

 

 

古典。名作と言われるものが、まるで今日を見通していたかのように示唆に富むのは、つまり、科学や技術がどれほど発達しようとも、人間そのものはちっとも変わってないから、なんでしょうね。

 

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こちら、騒動が収まったら読もうかなと思っているものの、なので積んだままです。

 

 

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス

闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。

 

 

 

種々諸々、とにかく時が経つのを待つしかないのかしら?

 

 

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菅さん、地味に頑張ってたのに。

 

結局、コロナ対策において、政府・厚生労働省内の既得権益擁護・新規利権開拓派にやられてしまったのかなと。

 

もちろん、政府・自民党が困るなら何でも良い「リベラル」層にしろ、自覚なくそれに乗せられてしまう「保守」層にしろ、内外政治上、損失の大きい「首相使い捨て」に加担してることに違いはないわけだけれども。

 

 

願わくは自民党総裁候補の中に・・・

 

新型コロナ対策においては、(アテにならない)検査などして(症状の無い、おそらく他者をして感染はさせても発症させることは少ない)感染者を発見して大騒ぎするのではなく、あくまでも症状を見て、重傷者・死亡者の最小化を図る、そこに集中する、という方向性を打ち出す人が出てくることを。

 

欲を言えば、「コロナ怖い」に寄り添うのではなく、コロナも数ある病気・疾患のひとつに過ぎないという事実を以て、明るく朗らかに情報発信を、そして「日常を取り戻す」という決意表明をできる人が良いなあ。

 

 

万が一にも、天災と「悪夢」は忘れた頃にやってくる、なんてことがないように。

 

現状野党との政権交代って、つまりエダノ首相でしょ? 無理。マジでムリ。