自民党の「選択的夫婦別氏(姓)制度を早期に実現する議員連盟」(会長・浜田靖一元防衛相)が25日、参院議員会館で設立総会を開いた。参加者は派閥横断で100人余り。来週には党内の夫婦別姓反対派も議連を発足させる予定で、導入の是非をめぐり、昨年末に繰り広げられた対立が再燃しそうだ。

 

 

だそうです。

 

 

いや、しかし、この「夫婦別姓」論議、寄せては返す波のようですなあ。でもって、それを実現させたい理由の方は、目新しいものは殆どないというね。

 

ちなみに、件の議員連盟、設立趣意書がこちらです。

 

 

 

「姓」を「氏」と表現しているのは、まあ買うとしても、その主張については、ホント、売り物にならないなあ、と。

 

ワタクシといたしましては、一読・・・

 

「何を仰いますやら」というか「ホンネは別のところにあるんでしょ」

 

・・・といった感じです。

 

 

一々反論するのも面倒ですし、一応「保守」とされる自民党に所属しながらこういうことを言い出すような、まあその何でしょう、あまんたれブー相手にシャカリキになるのもどうかと思うんですが、以下、お時間ある方、お付き合いください。

 

 

  憲法の中核理念の一つである両性の平等は民法改正で具体化したものの、夫婦同氏を強制する現行制度は、多様性の包摂が求められている現代日本において個人の尊厳を確保する形での見直しが不可欠である。

 

「多様性の包摂」「個人の尊厳」・・・大きく出ましたねえ。

 

 

  言うまでもなく、氏は個人の尊厳の重要な要素である。夫婦同氏制度はそもそも、婚姻にあたり、氏の変更を望まない者にとっては自由の侵害となり、個人の尊厳を傷つけるという問題を内在する。この本質的な課題が、近年の少子化と女性の社会進出により、一層深刻化している。

 

感じ方は人それぞれで仕方のないことではありますが、はたして「氏は個人の尊厳の重要な要素である」と言い切って良いものかどうか。

 

「氏の変更を望まない者」も、そりゃ中にはいらっしゃるでしょうけど、それはむしろ「氏」について誤解があるからそうなるんじゃないですか?

 

「個人の尊厳を傷つける問題を内在する」とか、またぞろ、勝手に傷ついて社会のせいにする「傷ついたは言ったもん勝ち」理論ですね。

 

 

  少子化に伴い一人っ子が増えた結果、氏の継承のために、その変更を望まない人も少なくない。自分の氏を引き続き使用したいと願う者同士が結婚しようとすると、現行法の下では、精神的な苦痛を被るだけでなく、意に反して事実婚を選択せざるを得なくなったり、結婚そのものを断念したりする事態を招来しかねない。

 

いや、だから「氏の継承のために」と言うんなら、それこそ次世代のことを考えてくださいよ。

 

夫婦別氏にしたところで、子供を2人以上持って、しかもそれぞれ別の(男親と女親との)氏を名乗らせなきゃ意味ないわけで、それを選択の余地なく強要される兄弟姉妹は「精神的な苦痛」を被ることはないんでしょうか。

 

そこんところ、あえて気付かないフリをしてるってことですかね。

 

 

  また、キャリアを重ねた者にとっては氏を変更すると、それまでの実績が十分に活かされないことがある。こうした損失を避けるため、やむを得ず通称として旧姓を使用する者が増えているが、二つの氏を使い分けることには負担を伴い、多くの場合には女性が、かかる負担を甘受しなければならない。

 

ここだけが、多少説得力があるな、という部分なんですが「二つの氏を使い分けることには負担を伴い」と特筆大書するほどのことかと言えば、さて、どうなんでしょ。

 

こういうの「経験した人でなければ分からない」ってことになりがちで「多くの場合には女性が、かかる負担を甘受しなければならない」なんて言われるとちょっと反論しにくい部分もあります。

 

(この「経験した人でなければ分からない」という物言い、本当は、ちょっと、いや、かなり卑怯な論法で、ワタクシ、これを言い出す人は嫌いです)

 

でもね、ワタクシ自身、家庭の事情で成人してから氏が変わった、あるいは、結婚するにあたって女性の氏を名乗ることにした、という友人がいます。

 

彼等は、ま、確かに面倒は面倒だけど、一通り手続きして回ればそれでオシマイだよ、なんて言ってました。

 

(余談ながら、何かと評判が悪く有効利用もされていない「マイナンバー」ですが、逆に、その登録変更一つに連動して、預金とか保険とか結婚で必要な全ての氏変更手続きができれば良いのに、とか、ウチの奥様は言っております)

 

氏変更前の「実績が十分に活かされない」っていうのは、そういう話とはちょっと違うのでしょうけれども、そこはやはり、通称(旧姓)使用可能な範囲を増やしていけば良いことだと思います。

 

「キャリアを重ねた」優秀な彼女(彼)等が「二つの氏を使わける」程度の負担に耐えられないものでもないでしょう。

 

 

  このような理由から近年、国民の間では若者や女性を中心として、選択的夫婦別氏制度の導入を求める声が広がっている。そこで我々は、婚姻にあたり、氏を引き続き使用できる道を拓く法整備を通じ、国民が自分らしく生きることができる社会の発展を目指し、本議連を設立する。

 

これね、ちょっとした「騙しテクニック」でして。

 

「選択的夫婦別氏制度の導入を求める声が広がっている」のは、まあ、各種世論調査でもそのとおりなんですが、自分が夫婦別氏を望むかと聞けば大多数の人はそうでないんであって、つまり「選択的」という言葉の魔術です。

 

選択肢が増えるのは基本的に良いことではあるのでしょう。

 

けれども、ここでの選択の自由はその結果責任の一部を次世代に負担させるものだという想像力を働かせてほしいですな。

 

「氏」は夫婦に限らず、親子を含めた家族・家庭のものなんですから。

 

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記事中示した「設立趣意書」は(たまたまですが)こちらで見つけました。

 

 

↓こちらのバナーを使ってください、とのことなので貼っておきます。

 

三宅しんごウェブサイト

 

 

参考までに、この三宅さん、ちょっと前にはこんなものを公表しております。

 

 

 

三宅しんごウェブサイト

 

 

この方個人を、特に応援も批判もする気はありません。が、何となく義理を感じるというか、こうして「原資料」を公開するという姿勢は素晴らしいと思います。

 

なので、せっかくですし氏のサイトから、その「ポリシー」を。

 

 

 

 

なかなか、シャレてますね(皮肉じゃなありません、褒めてます)。

 

ちなみに、2番めのポリシー「変える」の中はにこんな文言があります。

 

 

夫婦別氏(姓)の、その本質は(子供を持たないと決めている場合は別として)親子別氏にあるように思うんですが、大丈夫でしょうか?

 

 

三宅しんごウェブサイト

 

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以下、参考までに。

 

 大筋から言えば、「姓」は血縁系統を表し、「氏」は後から付け加わる諸理由に依(よ)るものだからである。例えば、加地「姓」は、佐々木「氏」(盛綱・高綱)の流れの中にある、というふうに。

 

・・・とあるのは「?」なんですが。

 

 しかし、その動機には、歴史性も主体性も乏しい。明治の条約改正のための民法立案には国運という大目的があっての<夫婦同氏>であったが、近ごろの<夫婦別姓論>は、欧米での同運動論の流行に乗っているに過ぎず、主体性など見られない。

 伝統的な夫婦別姓には血統という生物的秩序を守る原理が存在するが、今の夫婦別姓主張派にはそういう思想性はなく、権利、権利と相変わらずの欧米尊重流の猿真似運動に過ぎない。

 

 

 

note の mokosamurai / もこ侍 さんから。 

 

「氏」と「姓」は共に、古墳時代、ヤマト政権が「氏姓制度」というものを作ったことで制度化されました。

 

結論から書いてしまうと、

 

「氏(うじ)」は「血縁関係」

「姓(かばね)」は「朝廷内の立場」

 

を表しています。

 

 

 

 

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なお、お時間あるよ、という方には、こちら。かなり前に書いたものですが、ワタクシの旧ブログから。

 

 

例えば福島瑞穂ちゃん。

少女の頃、
自分の名前に気になるアイツの苗字をかぶせて、
「岡田瑞穂、キャッ、赤面!」
とか、

あるいは、もう少し高度に、
「志位瑞穂、あら、画数良くない、運勢悪くなっちゃう。
 あ、でも福島和夫、まあ、棟梁運♡」
(注:実際に調べたわけではありません。悪しからず)
みたいな、

そういう恥ずかしい思い出は無いんですかね。
だとしたら、随分淋しい思春期ですよね。

それとも、
かつてのそんな自分があまりに恥ずかしすぎて、
記憶を消そうと躍起になってるんでしょうか。

 

 

 

例えば福島瑞穂ちゃん(再び)。

思春期の頃、

気になるアイツに壁ドンされ、耳元で、
「瑞穂・・・」
なんて囁やかれてドキドキした、とか、

いけ好かないバカ男子に馴れ馴れしく肩をたたかれ、
「なあ瑞穂〜」
なんて呼びかけられてムシズが走った、とか、

そういう青春の一コマはないんですかねえ。

ちなみに私、

高校時代、スラリとした女性の先輩に、
「よしのり〜」
なんて呼ばれてクラクラしたことあります。

いや、それはともかく、

このてのエピソードは、
いわゆる「下の名前」だからこそ意味があるんです。
分かりますよね。

 

 

 

↓「氏」と「姓」の違いについて、あまり頓着していませんが、そこは読み替えてください。

 

自分が(家庭の名前として)父母と共有する姓に拘ってるわりには、
自分の子供には(家庭のではなく)父か母かどちらか一方の姓を強要する、
その矛盾に気付いてほしいなあと思います。

 

私的であれ公的であれ、
真に貴方を貴方として認めているのなら、
「結婚して名前変った」
としても、周囲の人間は素直にそのまま受け入れます。

旧姓時の貴方を忘れるはずないし、
失われたとも、まして死んでしまったなんて思うはずがありません!