妊婦の血液でダウン症など胎児の染色体異常を調べる「新型出生前診断」について、厚生労働省は25日、検査のあり方を議論する検討会を今秋ごろに設置すると正式に発表した。今後、検査の実施施設の要件などが話し合われる見込み。
※産経ニュース:新型出生前診断の検討会を今秋設置、厚労省
→https://www.sankei.com/life/news/190625/lif1906250020-n1.html
ということで・・・
その手法が確立して以来、「ニーズ(需要)がある」を理由に、なし崩し的に対象が拡大してきた新型出生前診断(NITP)ですが、ここにきて、ようやく一定のブレーキがかかりました。
TVや新聞では、深刻なフリをしつつ通り一遍の綺麗事論評があり、一方ネットでは、全てではないにしろ、その自覚があるのかないのか、いわゆる優性思想そのもの的なコメントも飛び交っています。
今回は、どこか傍観者然としたそれらの意見に対して、ワタクシの思うところを、ひっそりとではありますが、記しておこうと思います。
確かにNITPは「手軽」です。そして、ほとんどの場合、結果は陰性であり「安心」を得ることができます。その意味で、ニーズが高いというのは、そりゃそうなんでしょう。産婦人科にとっては、ひとつの「商品」でもありますしね。
けれど、100人に1人もしくは2人は陽性反応が出ます。これは確率論であって、決して避けられません。
それを高いと取るか低いと取るかは人ぞれぞれでしょうけれども、ほとんどの人は、自分が陽性になることはないと高をくくって検査を受けた(受けようとしてる)のではないかと思います。
しかし、いえ、だからこそ、いざ陽性反応だと知らされた場合、どう対処して良いのか分からず、結論を出すまでの時間も足らず、急かされるように決断して、つまりは後々まで後悔することになったりもします。
(実のところ、NIPTで「発見」できるのは、先天性疾患・障害の極一部です。なので、せっかく検査を受け安心していたのに、結果としてはトリソミー以外の疾患・障害のある子が生まれた、ということは十分有り得ます。逆に偽陽性、すなわちNIPTで陽性であっても、羊水検査で陰性ということもあります。NIPT陽性というところで慌ててしまうと「正常」な子を中絶してしまう、という可能性もあるわけですね)
だからこそ、十分なカウンセリングを必要とするのであり、本来「気軽」に受けて良いような検査ではないのです。
とは言え、最終的にはですね、検査を受ける受けないは確かに自由であり、自己責任なのかもしれません。
けれども、陽性反応を受けて確定検査をして、その結果産む産まないの選択を迫られた時、それをも自己責任というのは、あまりに酷じゃないでしょうか。
モノソミー、トリソミーといった染色体異常は、生物としてのヒトが、個体の多様性を担保するために有性生殖の道を選んだ、そのことに付随する必然です。それが、特定の誰かに直接関わるのは単なる偶然で、神様のいたずらとしか言いようがありません。
高齢出産、人工授精、体外受精等によって、その確率が高くなるという事実はあるにせよ、彼女の身にソレが起きたのは偶然であることに違いはなく、責任の取りようがありません。
誰も、何も悪くないのです。
障害児・者が生きていくには(健常者との比較で)お金がかかるというのは、そのとおりです。
ですが、それを理由に「生まれてからではどうにもならないけれども、生まれる前なんだから何とかするべき」みたいなことを何故に平気で言えるのでしょう。
「障害のある子」を授かり、身籠ったのは自己責任ですか?
お腹の中にいる子を、それでも産みたいと思うのはワガママなんでしょうか?
例えば、彼女自身が「障害児を産みたくない」「障害者の母にはなりたくない」と言い切るのなら、それはもう「そうですか」と言うしかありません。
けれど「産めない」の理由が、いわゆる社会や、あるいは彼女自身の中にある誤解や偏見、圧力といった種類の「障害」であるのならば、そんなものに拘る必要はないのです。
夫の反対や家族の無理解、世間体の悪さとか、何なら子供の将来とか、そういったもの全てを削ぎ落とした時、ほんのわずかでも「産みたい」という気持ちが彼女にあるのなら、まずは、その想いを全力で支えられる国であってほしいと思います。そういう国の、国民の一人で在りたいとワタクシは思っています。
(と言うか、本来、胎児の「障害」を理由とした中絶は違法です。現状、母体保護法に「妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」は「人工妊娠中絶を行うことができる」( 第14条-1項)とあるのを、を相当に拡大解釈して「あきらめる」という選択が許されているだけなのです)
国(国民)にお金が無いわけじゃない。もちろん、無尽蔵にあるということでもないのですが、ただひたすら、優先順位の付け方の問題です。
かつて、ハンセン病患者隔離政策があり、知的障害者の強制避妊施術があり、そのどちらも「誤り」であったと国は認めました。
いずれも様々な意見があり、一直線ではないにしても、それは、やっぱり国として、その民として、心の進化です。たぶん。
ヒトは一体、どの段階で人になるのでしょう。あるいは、どこからが障害で、どこからが病気なのでしょう。
染色体異常を抱えつつも、与えられた生を今、現に生き、生活している人々がいます。その同じ人の命を、生まれる前ならばという人智で断ち切る、そんなことが許されて良いはずがありません。
今はまだ、染色体の本数が多い少ないを発見するという段階の出生前診断ですが、明日にでも、遺伝子レベルでの重複・欠失が診断できたり、特定の病気が発症する遺伝子の有無を検査したりできるようになるかもしれません(実際、人工授精・着床前診断であれば、それも既に可能のようです)。
そうなった時、どこまでが「生まれて良い命」で、どこからが「生まれてはいけない命」だと判断するのでしょう。
自信を持ち、確信を持って答えられるという人は、是非、教えて下さい。
貴方ご自身は、生きていても良い人ですか? 生まれてきて良かった人ですか?
コチラは旧宅、同じテーマ「命―畏れと戦き」の記事一覧です。
→https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/e85897858b87ce43499b6a142310ff37
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以下、参考までに。
⚫新聞記事の中で、読まれることが最も少ないと噂される社説(産経は主張)から。
出生前診断は、「命の選別」や「命の尊厳」に深くかかわる倫理的問題をはらんだまま、以前よりも簡便でリスクが小さい新技術の登場で普及が加速した。
この動きに国が「待った」をかけ、立ち止まって議論する場を設けることを評価する。学会や有識者だけでなく、幅広い国民を巻き込む議論としたい。
当事者の決断は尊重すべきである。ただし、特定の障害の有無を胎児の段階で判定する技術自体に命を選別する意図がある。出生前診断が、現行の母体保護法では認められていない「胎児の異常を理由とする中絶」を強く誘導していることは、否定できない。
※産経ニュース:【主張】出生前診断 命の選別に広範な議論を
→https://www.sankei.com/column/news/190625/clm1906250002-n1.html
⚫奇貨か横槍か、国(厚労省)の「待った」を受けた産婦人科学会のお知らせ。
〜〜〜この新NIPT指針は、リプロダクティブライツの観点から、1)出生前診断に関する正確な情報を示し、妊婦自身の的確な判断の一助となるようにすること、2)妊婦と真摯に向き合い、妊婦に寄り添うことを主眼としています。
この新NIPT指針案は、令和元年度第2回臨時理事会(令和元年6月22日開催)において審議され、指針改訂が承認されました。そして同日、新NIPT指針を臨時総会で報告し、了承が得られましたので、新NIPT指針をお知らせします。
一方、新指針案に関しては、令和元年6月21日付けで、本会理事長宛てに厚生労働省母子保健課から要望書がありました。その内容は「国においてもNIPTに関する審議会を設置し必要な議論を行うので、実施についてはその議論を踏まえて対応されたい」とのご要望でした。そこで、理事会および総会では、その意を汲み、ひとまず指針の運用開始を保留とし、厚生労働省での議論の進み方を注視しながら、運用の詳細や開始時期について今後、判断することが了承されました。
※日本産婦人科学会:新しい「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査に関する指針」に関するお知らせとお願い
→http://www.jsog.or.jp/modules/news_m/index.php?content_id=640
⚫NIPTそのものに反対しているわけではない、というスタンスの小児科学会。
私たち小児科医はNIPTの普及が、染色体の病気の子どもたちの存在を否定しかねない、深刻な事態を招いていることを認識しています。NIPTを希望する妊婦とご家族の意思、判断は尊重されるものですが、検査前に質が担保された遺伝カウンセリング等を通じて、染色体の病気の子どもとご家族の実情を知っていただき考える機会を持っていただくことを願っております。小児科医の関与が不十分な状況でNIPTが普及することは、NIPTを希望する妊婦とご家族から、この機会を奪うことを意味しており、染色体の病気のある方とともに生きる社会の実現を遠ざける結果になると危惧しております。
※日本小児科学会:母体血を用いた出生前遺伝学的検査(NIPT)新指針(案)に関する日本小児科学会の基本姿勢
→http://www.jpeds.or.jp/modules/guidelines/index.php?content_id=106
⚫NIPTの、その先をも見ていると思われる人類遺伝学会。
NIPT は、遺伝子(染色体)を調べることで、授かった生命に関わる重要な結果を提供します。よって、さまざまな情報を正確に伝えた上で、ご家族に判断していただくという視点や、妊婦のみならず子ども(胎児)にも十分な支援を行うことが大切です。そのため、ご家族には、検査の内容や精度に加えて、現在対象となっている3種類のトリソミーを持つ方々の自然歴や社会生活、患者家族の実情などの詳細を、事前に、具体的に伝える必要があります。そして、事前、事後の遺伝カウンセリングを通じて、さまざまな疑問に正しく答え、ご家族にとって、そして胎児本人に対しても大切な生命に対する支援の機会が失われないことが重要です。特に、トリソミーに関しては、生まれた後の成長や、そのご家族のことを経験し、熟知している医療者による説明と支援の機会が失われてはならないと考えます。
さらに、将来的には3つのトリソミー以外の遺伝性疾患などに検査対象が広がっていくことは自明であり、それらについても十分な説明、支援ができる体制を現段階から整備していく必要があります。
※日本人類遺伝学会:母体血を用いた出生前遺伝学的検査(NIPT)に関する新指針(案) に関する日本人類遺伝学会の意見表明
→https://jshg.jp/wp-content/uploads/2019/03/1e29e36e99990dfa47972e61c402c78f.pdf
⚫こちらの団体は明確に「反対」していますが、意見それ自体としては、まあ、そうだろうと思います。
このように、出産・育児全般の劣悪な環境、障害児やその家族へのサポート体制の不備、いまだに根強い障害や遺伝病への差別・偏見が、障害の有無を早期に知り、障害をもつ子の出生を回避すべきという強い圧力となって、女性やカップルの選択を方向づけています。
このNIPTが、一般の産婦人科医院で提供されるようになり、さらには、妊婦検診に組み込まれるようになれば、「誰もが受けるのが当然の検査」、「受けない選択がしにくい検査」になっていきます。
しかしながら、出生前診断の後に選別的中絶を行った結果、その事実をずっと心の奥底に重荷として抱え続けている女性がいます。産まれた子どもを前にして、出産前に検査を受けたことや検査を受けるかどうか迷ったことに対して自責の念を感じる女性もいます。NIPTは、より多くの女性に提供される可能性が高く、その分、より多くの葛藤や苦悩を生み出します。
妊婦の不安を本当に払拭するには、女性本人に障害があろうとなかろうと、高齢妊娠であろうとなかろうと、また、生まれてくる子どもに障害があろうとなかろうと、安心して産み育てることのできるよう支援体制を充実させることです。
※立命館大学生存学研究所:「新型出生前診断(NIPT)の拡大実施に反対する意見書」
→http://www.arsvi.com/2010/20190313.htm
⚫やや古いものですが、この問題に「正解」は無い、ということで。
出生前診断・着床前診断の急速な技術的発達は、その社会的な位置付けという問題を解決するどころか、ますます難しくしている。日本より制度が整備されていると言われることの多い欧米でも、新型出生前診断についてはダウン症関連団体を中心に拙速な導入に対する批判が起こっており、欧州人権裁判所にも異議が提起されている。日本においては、当事者や専門家の中だけに留まらない、より広い国民的な議論がまず求められるが、たとえ規制の仕組みが整えられたとしても、それが現実の状況に適合しているかの確認と見直しは、不断に必要となるであろう。
※諸外国における出生前診断・着床前診断に対する法的規制について(2013)
→http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8173847_po_0779.pdf?contentNo=1