はじまって

おわりました。

およそ一年半ぶりの六軒島

場所は渋谷から新宿に移り、規模も大きくなりました。

 

今回は様々な事に振り回された公演でした。

まだまだ気の抜けない流行病

前回同様、幸いにも座組がクラスター化する事はありませんでした。

真夏の稽古に倒れるかとも思いましたが、なんとか乗り切りました。

けれどずっと、漠然とした不安が覆い被さっていたような気がします。

 

今回も注目されない演技、は継続しつつ前回とは違ったアプローチで臨みました。

前回はキャラクターの再現度を重視しつつ、老年である事を意識した演技と動き(素早くは動か(け)ない)を。

今回はそれを全て廃し、ストーリー展開に合わせ緩急をつけた芝居を心掛けましたが、根本は主張しないようにと。

そして「うみねこ~」を知っている人も知らない人も、この人は重要ではないなと思ってもらうように

"視線(意識)をずらす"ように仕向けるのはとても大切なことなので、今後も変わらぬスタンスでいられればなんて考えています。

 

"南條"という人物は作品の中で唯一、装置としてだけ存在し

そのバックボーンも、語られる物語に直接関係がなく、右代宮家の血縁でも使用人でもない。

その存在がカテゴライズされることの無い人物。

 

実は稽古中の休憩明けや、劇場入りした後の集合確認にそのカテゴライズは重宝していて

"atmosphere・butterfly・使用人・それぞれの家族"、当主様は家族の長だから家族の中に入ると考えると

どれにも属していない南條、そして舞台作品のキャストとして考えるとベアトもカテゴライズされないから

あたしたち…ソロ?

ということで集合確認は「ソロ(同士)いまーす」「ウチ(ソロ)の魔女がいませーん」て云ってました。

 

孤高にして機構、装置。

この先ep.が進んでも誰かとカテゴライズされることはない人物。

装置は装置であればいい。

舞台の感想を読んでいても名前が挙がる事はほとんど無いので、何とかうまく機能したのかなぁなんて思ったりしてます。

キャラクターのファンの人は見ているかもしれないけれど、それ以上に背景に、風景に溶け込んでいたと思ってもらえていたのなら。

 

来年2月はep.3

果たして続投するのは誰か、そして誰か変わるのか。

あたしはそこにいられるのか。

ふと、漫画がep.毎に6人の作家さんで描かれてるのだから、ep.毎にキャストが変わってもそれはそれで面白いのかも、なんて思ったり、ね(´ω`)