2821号「世界中の人が幸福になる方法


砂辺光次郎

講義録2821

(2012/3/30)




ご訪問、心より感謝申し上げます。






今日は、「世のため人のために生きるとは、自己犠牲に生きることではない」というお話をさせていただきます。





(人前で話しました。)





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世のため人のために生きるとは、


自分も幸福になり、他の人々も幸福になる道を歩むということであると考えます。


自他共に幸福な道を歩む」ことだと思います。


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そうであればこそ、利他行をする人も、また、幸福になり、


最終的には、すべての人が幸福になるわけですから、


仏神も喜び、多くの人々も喜ぶ、


大いなる「幸福そのものの世界」が開かれると思うのです。


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利他行というと、私は、マザー・テレサや、行基菩薩、シュバイツアー博士を例に出して言うことが多いので、


(目の前の人に向かって)自己犠牲をイメージされた方も多いかも知れませんが、


しかし、私は、自他共に、豊かになり幸福になる道が、利他行の良き姿であると思うのです。


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ただ、こういうことは言えると思います。


人間が本当に成長して心が磨かれてくると、


自然と、「世のため人のために生きることが幸福である」、という心境になると思うのです。


「無我無私となり、利他行に励むことが、人生の喜び」となってくると思うのです。


実際、菩薩や如来、あるいは、女神や聖人、天使、などといわれる方々は、


人生は利他行そのものです。


それでいて、自分自身は、幸福そのものであると思うのです。


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今日は、人の幸福のために生きるということは、自分が幸福になる道でもある、というお話をさせていただきました。

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(以下は哲学論なので、読み飛ばして、けっこうです。つまらないですよ。)


私は西洋哲学を勉強してきましたので、哲学を勉強している方々のために、書きますが、

カントの哲学は、善を求める道と、幸福を求める道は、それぞれ別であるから、


善と幸福は一致しない、という出発点がありました。


つまり、「良いことをしても不幸になる人がいる。そういう場合もある。」ということです。


しかし、カントも「これは、おかしいな。」と思っていたのです。



つまり、「良いことをする人は、幸福である。」

という結論に持って行きたかったのだと思います。



カントは『純粋理性批判』では、その解決はしていませんでした。


そして、次の、『実践理性批判』で、倫理学、霊魂不滅説などで、次のような結論に達しました。


つまり、「善と、幸福は、この世では、一致していない。


しかし、あの世を含めて考えれば、善と、幸福は、最終的には一致する。


この世では、善人が不幸になることもあるが、あの世まで考えれば、善人は幸福になる。


だから、あの世はあり、霊魂は不滅なのだ。」


こういう結論に達したと思います。


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私は、それに対して、善と幸福は、この世においても、実現すると考えているのです。


そこがカントと考えが違うところなのです。


その理由は、魂が成長すればするほど、善を行えば幸福になる、という心境に成長するからなのです。


人間は、どんどん成長して、仏神に近づこうとしています。


そして、成長すればするほど、善を行えば幸福になる、という心境に至ると思うのです。


神仏は、善と幸福が完全に一致している段階です。


人間も、成長すればするほど、神仏に近づくわけですから、やはり、善と幸福は一致すると思うのです。

カント哲学を勉強して、私は、こういう感想を持っていました。


(本日は、以上です。ありがとうございました。)