1505号「哲学の限界」
砂辺光次郎
講義録1505号
(2009/1/15)
★次回以降の予定★
「自分が変われば周囲は変わる」
「明るい人は明るい人と出会うようになる」
「ピカソの前世は鑑真である!?」
「成功をじゃまする人がいる理由」
「哲学を超える思想」
「差別をなくす人生観」
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1505号「哲学の限界」
学生時代はずっと哲学を勉強してきたのですが、わかったことがあります。
それは、哲学はある段階から先は説明できない、ということです。
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(例をあげますが、この部分は飛ばして読んでもかまいません。)
たとえば、哲学は「この世界が存在するかどうか」を二千年間論じてきました。
私もずいぶん考えたわけです。
今の哲学では、「この世界が存在するのかどうか」ということに対して、こう答えています。
たとえば、「この世界は言語である。」と言っています。
あるいは、「この世界は意味である。」と言っている人もいます。
それで、一応結論は出しているのですが、しかし哲学者は、それから先のもっと重要なことには答えていません。
考えてはいるはずですが、学問というものの限界があって、答えられないのだと思います。
たとえば、善とは何か、とか、人間はいかに生きるか、という問題があると思うのですが、それに答えていないのです。
私は、英国の「論理哲学論考」、現象学、実存主義系、ポスト構造主義ぐらいまでを勉強してきたのですが、これらの哲学は、結局答えていないのです。
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要するに、私は、「哲学は、ある段階から先は説明できない。」、ということがわかったのです。
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一般的に言えば、この世の学問は、ある段階から先は説明できない、ということがわかってきました。
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たとえば、「崇高さ」とは何でしょうか。
私はなぜ崇高さにうたれたり、魂が打ち震える感動をするのでしょうか。
それは説明できないと思うのです。
医学的に、生理学的に体内の因果関係は説明できても、「ではその感動はどこから来るのか?」という一番大事なことは説明できないと思うのです。
(続きます)