1315号「より良い人間関係のために 2」
砂辺光次郎
講義録1315号
(2008/08/19)
★次回以降の予定★
「開放的、海洋的人生」
「さわやかな愛」
「なぜ本を読んでも成功しないのか?」
・・・・・などです。
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(ここから本文です。)
1315号「より良い人間関係のために 2」
前回に続いて、
「相手を見下す人、人をバカにするような人は、なぜそうするのだろうか。」
さらに、
「他人を攻撃する人、身近な人に暴力を加える人はなぜそうなるのだろうか。」
ということについて考えたいと思います。
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前回、原因として、
「弱い人が相手を攻撃する。」
「不安と恐怖が、人を攻撃する原因である。」
「劣等感があるから、周囲を見下そうとする。
周囲を見下すことによって、自分を守ろうとしている。」
「今までさんざん攻撃されてきた人は、自分より弱い人を見つけて、今度は自分が攻撃するようになる。」
ということを書きました。
攻撃するほうに原因がある、ということを書いたと思います。
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今回は、前回書かなかったのですが、もう1つ重大な原因があることを書きます。
それは、自分自身の中にも原因がある、ということです。
自分が原因で、周囲のことは起きているということです。
ある人が自分を攻撃しているとした場合、自分が原因ということもあるのではないか、ということです。
たとえば、もしも、自分が西郷隆盛だったら、そんなことは起きないかもしれません。
あるいは、そんなことは歯牙にもかけないかも知れません。
また、もしも、自分がマザー・テレサだったら、そんなことは全然問題にならないかも知れません。
そう考えると
「自分が変化すれば、周囲も変わる」
ということになると思うのです。
原因は、やはり、自分にもあるのではないか、ということです。
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(実例1)
J君は、なぜか、十代の頃から、親戚のオバさんに嫌われ、攻撃されていました(こういう例も珍しいとは思いますが)。
その親戚のオバさんは、もともと対人関係がへたで、孤独でさびしかったのですが、J君に対しては特にひどく攻撃し続けていたようです。
それもJ君が十代の頃から二十年も攻撃し続けていたということです。
J君はそれでずっと苦しんでいました。
J君にとって、親戚のオバさんは、まるで氷のかたまりのような感じの人でした。
J君が中年になったとき、J君は「対人関係調和」について学びました。
そこで、
「自分と一番対立している人のことを考えましょう。」
「その人の立場に立って、その人を理解してさしあげましょう。」
ということを学んだのです。
そして、実際に実行してみました。
早朝や日曜日の夕方、静かなときを選んで、親戚のオバさんのことを考えてみました。
すると、だんだんとオバさんの寂しさや心の苦しみが、わかってきたのです。
二十年以上、氷のように冷え切っていた関係が、一気に解けていくように感じられました。
その日の夜、J君はオバさんに電話をしました。
オバさんは「J君!久しぶりねえ。」と声をはずませて喜んでいました。
本当にうれしそうでした。
この日を境にして、J君とオバさんは一気に仲良くなり、お互いの家を遊びに行くような関係になったのです。
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今はそれからさらに十年たっています。
J君は二十年間のオバさんとの関係を再び考えてみました。
すると、今では
「二十年もオバさんが自分を嫌って攻撃していたなんて、なんだか不思議な経験だなあ。」
「今では、夢、まぼろしみたいだな。」
という感覚になっているのです。
さらに静かに考えていくと、思い出がつぎつぎと出てきました。
「そういえば、街の本屋で出会ったとき、オバさんはうれしそうに笑っていたなー。」
「どこかの商店で出会ったときも、うれしそうに声をかけてくれたなー。
あのあと、帰り道一緒に並んで歩いたんだよなー。」
と思い出してきました。
「自分と会ったときは、オバさんはいつもうれしそうだったなー。」
「それなのに、自分の方が、冷たくあしらっていた。」
そういうことばかりを思い出すのです。
そして、ついに、
「オレが原因じゃないか!」
と思い至ったのです。
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「実は、自分の方こそ、おばさんに冷たくしていたのではないか。」
「自分が冷たくしていたんだ。」
「だから、オバさんは自分にどういう態度を取ればいいのかわからなかったのだ。」
「オバさんは、自分のおかげで寂しかったんだ。」
そういうことがわかってきたのです。
「原因は、自分の心の冷たさにあった。」
ということが痛烈にわかってきました。
そのとき、さーっと涙が流れてきた、ということです。
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このJ君の例が示しているのは、
「よくよく反省してみれば、自分のほうこそ、相手に攻撃していた。」
「自分が原因だった。」
ということに気づく場合が多い、ということです。
(まだ、途中です。次回以降、続きを書きます。)