1294号「ケタはずれの情熱」


 砂辺光次郎

 講義録1294号

 (2008/8/13)


 ★次回以降の予定★


 「わっはっは、楽天主義」

 「すくすく、堂々と生きる。」

 「前世の影響を克服」

 ・・・・・などです。


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 (ここから本文です。)



 1294号「ケタはずれの情熱」


 常に常にイメージをしていること、意識していること、それがその人そのものだと思います。


 常に常にイメージできるということは、そのイメージが「自分の本心」であることを示しています。


 自分の本心でない場合、しばらくそのイメージをしていたと思ったら、数日後には、全然別の「夢」を描いている、ということになってしまいます。


 自分の本心でないから、ぐらぐらするのです。


 自分の本心をまだ出していないからふらつくのです。


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 本心を出すためには、もっともっと心の探求をしないといけないと思います。


 もっともっと心を深く探らないといけないと思います。


 探求が浅いと、本心まで到達しないのです。


 本心まで到達しないと、他人の目を気にして将来を描いたりします。


 あるいは、他人から言われたことで、本心とずれたことを自分の夢だと思ったりします。


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 話は突然飛びますよ。


 中世日本に一遍上人という方がおられました。

 

 踊念仏で日本中を布教された方です。


 一遍上人の「手紙」を読むと、この方の人生の目標はただ一点、「仏の教えを広める」ことにあった、ということがわかります。


 わかるというか痛切に感じます。


 一遍上人は、このただ一点の人生目標に向かって全ての智慧、全てのエネルギー、全ての時間を注いでいました。


 その情熱たるや、ケタはずれであったと感じます。 

 

 「手紙」を読むとそれがよくわかります。


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 以下、一遍上人のことを推測して書きます。


 一遍上人はこう考えたはずです。


 「もっと多くの民衆に仏教の教えを広げるにはどうしたらいいか。


 多くの人を幸せの道へと導くにはどうしたらいいか。」


 そう考えながら、情熱的に布教活動を続けていたと思います。


 あるとき、一遍上人は、はたと思いつきました。


 そして、一遍上人は、突然踊りだしたのです。


 天から啓示が降りたかのように、突然踊りだしのです。


 上人は、自分が踊ることによって、民衆が説法にたくさん集まること、民衆が仏教にもっと親しみを感じることを願いました。


 そして、踊り続けました。


 一遍上人は、当時の高僧中の高僧である。


 その一遍上人が踊りだしたのです。


 最初、弟子たちもびっくりしました。


 しかし、尊敬する師が踊るので、今度は自分たち弟子も踊りだしたのです。


 こうした踊りながら、仏教を広める活動が始まりました。


 お坊さんたちが踊ると、農民たちが作業の手を休めてニコニコしながら集まってきました。


 小売り人たちも店を一時閉めて集まってきました。


 うわさを聞いて貴族たちも牛車に乗って集まってきました。


 みんな楽しそうに笑いながら踊りを見ていました。


 こうしてみんなが和やかになったところで、一遍上人はわかりやすく説法を始めました。


 一遍上人はこの方法で、当時数百万人に説法をしてきたと言われています。


 当時の交通事情、通信事情、そして当時の人口比からすると、まさにケタはずれの大仕事を成したと言えます。


 このとき一遍上人に怖いものは無かったと思う。


 ただひたすら前人未到の地を進んでいったと思います。


 目標を一点にしぼり、高い志とケタはずれの情熱を持つ人物は、かくもケタはずれの仕事を成し遂げてしまう、ということの格好の例だと思いました。