2347号「山本寛斎(やまもとかんさい)の生き方」
砂辺光次郎
講義録2347
(2010/12/20)
ご訪問、心より感謝申し上げます。
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(読んでくださる方が多いので、再び、記事にいたします。
読者の皆様、ありがとうございます。)
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「このままの人生で終わってもいいのか!」
山本寛斎がこう自分自身に対して叫んだのが40歳のときだった。
山本寛斎の人生は決して順風満帆ではない。
70年代初め、ロンドンのショーで大成功をおさめたが、
そのあとのパリで大失敗し、二度と立ち上がれないほどのダメージを受けた。
会社も倒産の危機が迫り、彼自身生きる気力すら失った。
朝起きると死ぬことを思うような日々を送っていたが、そうしたある日のこと、
部屋に置いてあったアメリカの若者の写真をパラパラっと見て、驚いた。
目を見開いた。
生き方もファッションも今までにない開放感がある!
寛斎は、今までにない興奮を覚えた。
この写真を見てから、自分の周りのすべてが色あせて見えてきた。
もっと自由に生きようと思った。
もっと自由な服を作ろうと思った。
夕暮れ時の暗い雰囲気から、さんさんと光り輝く世界へ参入したような気がした。
ようやく立ち上がる時期が来たようだ。
ためしにロンドンへ一人で行った。
ファッションの中心街を最高に好きなファッションで全身を飾って歩いてみた。
ロンドンではどこでも「ファンタスティック!」「ビューティフル!」と言われた。
一台の高級車が自分の横で止まり、わざわざ車から降りてきてほめる男性までいた。
その男性は
「あなたのファッションは、なんてステキだ。すごく気分が明るくなった。ありがとう。」
こう言ってまた車を走らせた。
だんだんと元気になった寛斎は、フル回転で仕事に取り掛かるようになり、ファッションショーを次々と成功させていった。
しかしまだまだスポンサーの意向からは自由になれなかった。
48歳の時、自分の自由を全面開放させたい、このまま死ぬわけにはいかないと思った。
これからは自分が本当にしたいことをしよう、と自分に言い聞かせた。
それまでは売れるためのデザイン、資金を出すスポンサーの意向に沿う仕事、ということで全面開放とはならなかった。
自分は開き直るぞ、と自分に言い聞かせた。
開き直り度100%だ、と自分に宣言した。
現在、寛斎のショーの中心概念は「人間賛歌」であり、開き直り度を最高にし、ポテンシャルエネルギーをどこまでも高くすることだ。
「今の日本は閉塞感に満ちている。
ここに爆発的な突破口を開く!」
彼の仕事は、誰からも、「気迫の仕事、元気そのもの」と評されている。
彼の仕事は、ゼロから出発し、スタッフを元気付け、企業や資本家を説得して動かすこと、そこから始まる。
彼には、もともと金も人もない。
金と人がなければどうするか。
それは自分が燃えに燃えればいい、ということだ。
自分の爆発的な元気と、成功させるんだという気迫、それが周りを動かすのだ。
実は、彼は、人一倍気が弱く、緊張するタチなのだ。
しかし、「このままで人生終わってたまるか!」 という気迫を維持し、そして、最高の人生を実現するというテンションを維持し、戦い続けている。
先日の武道館のショーも4億円必要だった。
しかし彼にはそんな金などない。
ならば、優良企業を回って資金調達しよう。
その気迫で4億円を集めた。
彼が優良企業を回ると、理想を語るその気迫に、次々と賛同者が増えてきた。特に、元気のいい企業ほど、賛同し、どんと資金を出してくれた。
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寛斎は朝5時に起きる。
朝起きるとき
「人間ってすばらしい!」
と跳ね起きる。
ジョギングをし、最高にボルテージを上げてそこから全力で仕事にのぞむ。
彼は、人一倍気が弱く、緊張するタチであり、金もコネもなかった。
しかし、
「このままで人生終わってたまるか!」
と思ったとき、最高のボルテージの仕事人間に生まれ変わった。
これが山本寛斎の生き方だ!