1161号「神の子」



砂辺光次郎

講義録1161

(2008/05/30)




私たちの生命は、天から与えられたものであり、私たちの体もまた天から与えられたものです。

私たちは、自分で仕事して食べ物を得て、それを食べているから生きていられると思ったら大間違いなわけです。


そんなことはないのです。

食べ物を食べただけで、細胞ができるわけはないのです。

食べ物を食べることで、細胞ができ、体が活動をできるというのは、これは人間がやっているのではないのです。


これはひとつの神秘のシステムなのです。

そしてこのシステムは、これは、どう考えても偶然にできるわけはないのであって、明らかに、天から与えられたものなのです。


天というのがよくなければ、神から、あるいは、大自然から与えられたシステムなのです。


そういうことが言えるわけです。

それに対して、私たちはどれだけ感謝の念を持っているのでしょうか。


そう思うと、もちろん日々感謝でいっぱいの人もいると思いますが、たいていの人はなかなかそんなに感謝感謝で過ごしているとは言えないと思うのです。

本当に心から毎日毎日感謝している方というのは、これはだいたい見れば雰囲気で分かるものなのです。

まずはこうしたこと、天から与えられ許されていることに感謝することが大事ではないかな、と思うのです。

本当に、こうして命を与えられていることに感謝していたら、心は幸福感に包まれ、心が本当に温かくなるものです。


顔はさっぱりし、毎日がうれしくて仕方なくなるものです。


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今朝、朝早く起きて東の空を見ると、また今日も太陽が昇ってきていました。

なんてありがたいことだろうかと思うのです。


また与えられ、また許されたのです。


生きているというのは、本当に与えられ、許されている毎日なのだな、と思いました。

毎日昇ってくる太陽はどこまでも温かく、またやさしく、私たちの心の芯まで温めてくれます。


たとえ氷のように固まった心であっても、その温かさでゆっくりと溶けていくような、気持ちがしてきます。

植物の緑も太陽をうれしがり、土も、水も、樹木も、鳥たちも、動物たちも太陽の光を目いっぱい浴びて楽しんでいます。


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私たちが光明的生活を送りたいと願うなら、その基本は、自分は仏神から喜ばれているんだ、ということを知ることだと思います。

私たちが希望に満ちた生き方、自信と勇気に満ちた人生、未来が輝いている人生、こういう人生を送りたいと思うなら、


その基本は、まずは、


自分は生きることを仏神に賞賛されている、ほめたたえられている、ということを確信をすることだと思います。

実際に、私たちは天に許され、そして生まれてきたのです。


そして現在も生きているのです。


さらには、私たちは一生懸命生きていることをほめられて、喜ばれているのです。

「私は自分の個性を与えられ、それを素晴らしいものとして期待されている。」

「私が力強くいき、思いっきり開花しようとしていること、それを天が、仏神が喜んでいる。」

それを確信することです。

実際に、生きているということは、選ばれたことであり、許されたということであり、喜ばれていることなのです。


だからこそ、今までも生きてこれたし、今日もまた生きているのです。

それをまずしっかりと心でつかむことだと思います。

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私たちは仏の子、神の子、天の子なのです。

天から許されて生まれているのです。

人間の心のレベルで誰かから非難されたり、差別されたり、否定される理由は、どこにもないのです。


自分が「神の子」であることを確信すれば、そこには、深い自信と、どこまでも高い理想が心に宿ることでしょう。


深い安らぎと、揺るがない永遠性が、心に宿ってくるでしょう。

こうして心がつかんだ自信は、これは本当に深い自信です。


不動心であり、勇気の根源でもあります。


そして、心全体に何とも言えない、深く柔らかい安らぎが満たされてきます。

自信、理想、安らぎ、永遠、これこそが本物の光明的人生、希望に満ちた人生の条件ではないかと思うのです。

(バッハの「G線上のアリア」を聴きながら書きました。

また、谷口雅春氏のご著書を参考にさせていただきました。)