1134号「未来図を描く」



砂辺光次郎

講義録1134

(2008/5/17)





 未来図を描こう、と言ったらだいぶ反応がありました。

 「その未来図が描けないんです。」

 「そのためにはどうしたらいいのですか?」

というような問い合わせがありました。



 (ほかにもありましたが、ここでは割愛させていただいて、後日またあらためてご返事させていただきたいと思います。)





 未来図を描くには何が必要で、どのような考え方が必要なのかを書いていきます。





 1、



 まず、自己分析」が必要です。



 自己分析をして、心の葛藤を開放しないと、未来図はとてもではないが描けないと思います。



 葛藤があると、不安、恐怖があり、劣等感があり、自分に自信がなく、自分がきらいで他人がきらいになる傾向があります。



 まず幼少時の親子関係までさかのぼってその原因を探る必要があると思います。



 そして、その原因までたどり着くと、ほぼその葛藤は解決していくはずです。





 2、



 心がゆがんでいると、スキャンダルを話題にし、暗いニュースを好んで語るようになり、自虐的な考え方に惹かれるようになるでしょう。



 心が健康であれば、自信に満ち、明るい未来を描けるようになり、他人の幸せを望むようになり、愛と信頼に満ちた人間関係を築けるようになるでしょう。



 心が健康であれば、自分の本来の仕事にエネルギーを注ぎたくなり、自分自身もっと成長したいと思うようになるのではないかと思います。



 本来心は何を求めているのかというと、プラス思考、光明思想、常勝思考、発展思考、明るい世界、笑顔と幸福に満ちた世界、さわやかな世界を求めていると思います。





 3、



 自己分析をして、心が開放されると、自分の本当の願いとか自分の本当の気持ちがだんだんとはっきりしてきます。



 そうするとまずは自分の大好きなことがわかるようになります。



 さらに進むと、自分のうまれてきた目的がわかるようになるでしょう。



 人生の目的は、自分の心の透明さに応じて、それなりの「つかみ」があると思います。 



 最初は、ある程度自分のこの世的な判断が混入するかもしれませんが、だんだんと成長して、自分の心が透明になれば、だんだんこの世的な判断が薄くなり正真正銘の自分の人生の目的というものに近いものをつかめるようになるでしょう。





 4、



 自分がうまれてきた目的は、天命でもあります。



 この天命をつかむ、というのが未来図を描く第一段階といえるかも知れません。



 天命、自分のうまれてきた目的をつかんだら、次は、未来計画を描くことができるようになるでしょう。



 この未来計画を描くのはけっこう大変です。



 できたら、原稿用紙百枚程度の量の未来計画を立てるといいのですが、これが大変なのです。



 苦手な人が多いのです。



 なぜ苦手なのかというと、まだ心に葛藤があるからです。



 まだまだ、自信がなく、天真爛漫になりきっていないからです。



 このあたりのことについては別途また書く予定です。





 5、



 さて、未来計画を描くのには、人生の成り立ちを自分なりにつかむ必要があります。



 それは、ひとつには人生は最後に「死」があるからです。



 死があることをどうとらえるか。



 たとえば、ある人は投げやりになり、ある人はおびえ、ある人は精一杯生きようとしています。



 私自身の考えを書きますが、これから書くことは、信じられない人は信じなくてもいいと思います。

ひとつの考えとして読んでください。



 人間は死んでも終わりではないと考えています。

人間は死んだら、次はあの世に行きます。



 そして、生前の心の状態に応じてあの世での住む世界が決まります。

 誰かが決めるわけではなく、自分で過ごしやすい世界に行くわけです。



 人を非難ばかりしていた人は人を非難ばかりしているような人たちのいる世界に行くでしょう。



 温かい心で過ごしてきた人たちは同じような心温かい人たちのいる世界に行くでしょう。



 仕事で一流の業績を残したような立派な方々は同じように立派な仕事を残してきたような人たちのいる世界に行くでしょう。



 心が透明で清く、すがすがしく生きてきた人たちは、やはり同じように、清くてすがすがしい人たちのいる世界に戻ることでしょう。



 地獄のような心の人は、清くてすがすがしい心の人たちのいる世界には住みにくいでしょうから、やはり同じように地獄のような心で過ごしている人たちのいる世界に行くことでしょう。



 天国、地獄という考えは昔の人の考えではなく、現実にあると思います。



 あの世というのは割とこの世と似ていると思うのです。



 こんなふうに考えています。



 それで人生は、転生輪廻するわけですから、死は最後ではなく、今回の人生のいわば決算なわけです。



 人生というのをこう考えています。





 神という存在を確認したことはないし、感じたこともないのですが、やはりそうした「意思」はあると思うのです。



 そうした「意思」があって、子供を誕生させるように「宇宙」を創造します。 私たちの宇宙を創造し、銀河系を創造し、太陽系と地球も創り、人類も創造しました。

 こんなふうに考えています。



 ですから、宇宙も目的があって創造されたと考えています。

 そして私たち人類も目的があって創造されたと思います。

 そうした人類史のなかにあって、人間もそれぞれの目的を自覚して生まれてきたと考えています。



 そうした生まれてきた目的が人生の目的であり、天命であります。



 こんなふうに考えています。





 6、



 人類の目的とは何でしょうか。



 これがわかれば私たちのうまれてきた目的もある程度明確になるのではないかと思います。



 人類の目的とは、人々が愛と信頼で結びつき、どこまでも明るく豊かで幸福で輝くばかりの素晴らしい世界だと思うのです。



 光明荘厳世界だと思うのです。



 だとしたら、私たち一人一人の人生もそうした大きな目標の流れの中にあると考えられるのです。



(長いので、途中まで)