「自信を持つには 3」


砂辺光次郎

講義録1080

(2008/03/18)


(長いので、途中から)


 敏感というのは個性である。

 気弱というのも個性である。生まれつきの性格だと思う。



 しかし、自信がない、というのは、個性ではない。



 それは、マイナスの自分である。


 

 たいていの場合、親子関係の中で自分を出せなかったため、自分にいつまでも自信ができてこなかったのだと思う。



 ・・・・・



 多くの人が、どうしたら自信をつけることができるのか、ということを求めている。



 私も、今、その方法を考えているところだ。


 ただ、多くの成功論はあまり根本的なことを書いていないように思える。



 自信のなさは、幼少時の親との関係から発生しているのだから、幼少時のところから問題が発生しているのだ。



 だから、そこを探求しないといけない。


 さて、自信を高めるにはどうしたらいいのか、ということだが、



 加藤諦三さんが自信を持つにはどうしたらいいのか、ということに関して、いいことを言っている。



 それは、



 「私はあなたの期待するような人間ではない。」と宣言する、ということである。



 自信のなさというのは、なぜ起きたのかというと、小さいころ、親の期待にあわせるように自分の本音を押しつぶしたことから起きているのである。



 それが、大人になってもまだ傾向性として残っている。



 だから、自信のない人は、自分の行動がいつも本心からではないという感じがするのだ。



 それは、親の期待に沿うように自分を押し消してきたからである。



 親の期待に沿う、ということが、一般化して、他人の期待に沿うように行動してしまう、というようになってしまったのである。



 他人の期待に沿うように、無意識的にどうしても行動してしまう、それが体質になってしまっている、ということである。



 だから、言い返せない。自分のわがままをいえない。言いたいことを言えない。そういう人間になってしまっているのである。



 その深い「葛藤」をほどくのが、「私はあなたの期待通りの人間ではない」という宣言だと思う。



 ②


 次に、現実の自分のあるがままを認め、愛するということが大事だと思う。現実のダメな自分を周りに宣言してしまうとなおいいと思う。



 小さいころ、親は、自分のあるがままを期待してないだろうと思い、「いい子」を演じてきた。それが習い性になり、自分のあるがままを押しつぶすようになってきた。



 だから、自分のあるがままをきらっている。心の奥底で自分を憎んでいる。自分をきらっている人は、同じように他人をきらう。だから、自分を好きになることがまず第一歩なのだと思う。


 言い換えれば、虚勢を張らないことだ。



 虚勢を張っても、他人はすでに分かっている。



 嘘をつこうとしても、すでにばれているようなものである。



 だから、ありのままの自分を出すようにすることだ。




 これも加藤諦三さんからのヒントだが、



自己主張すること」である。



 これは、成功体験を積む、ということになると思う。



 自信のない人は、今まで人に言えなかったのである。



 自己主張できなかったのである。人からひどいことを言われたり要求されても、その人に言い返せなかったのである。



 だから、「自己主張する」というのはいちばん苦手なことになると思う。



 しかしここを突破しないと次の段階にいけない。



 だから、自分のできる範囲でいいから「言い返してみる」ことだ。



 そうすることで、成功体験が積まれる。



 ここでひとつ安心することを言いたい。



 実は、相手はたいして怖くない。



 自分が言い返せなかった人は、たいして怖くない人であることが普通だ。



 言い返してみると分かるが、言い返すと、相手はけっこうしおれてしまう。



 案外たいしたことはないな、と思うのが普通である。



 だから、言い返してみると、けっこう相手は怖くないんだな、たいしたことはないな、と感じると思う。



 ついでに書くが、これも加藤諦三さんが書いていることだが、



 あなたが気が弱くて相手にものを言えない人である場合、相手はあなたが自己主張しないのを「これ幸い」と思い、あなたにいろんな要求を押し付けている場合がある。



 あなたを「いい人だ」と持ち上げながら、あなたをずるく使っている場合がある。



 そういう人間関係はいつわりの人間関係である。



 そういう人間関係であなたは疲れているはずだ。



 そこで、今度、思い切って、そういう相手に対しても自己主張してみる。



 そうすると人間関係が壊れる場合がある。それはそれでいいのである。



 正当な自己主張をして人間関係が壊れるならば、もともといつわりの人間関係なのだから。だから、こういう場合は、壊れたほうがいいのである。



 同じように、自分を高く見せて成り立っている人間関係も偽りの人間関係である。



 自分の本当の姿、たいしたことない自分の現実を話して壊れるような人間関係なら、壊れたほうがよりよい人生が開ける。




 依存心をなくす



 たとえば、ダンスの練習をするとする。そのとき、「自分はできないんですよ。」と最初に言ってしまうのは自分を安全圏においてしまうので楽です。しかしそれは、依存心から出ている。



 その逆に、「自分はここまでやってみます。」とプラスの方向に自分を出っ張らせると、頼るのは自分だけになるので不安になる。



 しかし、それは、自分を成長させる。



 その不安に打ち勝つことで、自分はやった、という成功体験を積むことができる。




 八方美人にならない



 これも加藤諦三さんの本から知った。



 全ての人に好かれようとするから、自分を押し殺してしまうことになる。



 自己主張したら、ある人にはきらわれるのは仕方ないことだ。



 だから、八方美人にならない、ということにしてしまうと、自分を出せると思うのです。


 以上まとめると、



「私はあなたの期待するような人間ではない。」と宣言すること。



 現実の自分を認め、好きになること。できる限り公言してしまうこと。



 自己主張すること。



 八方美人にならないこと。



 以上です。



(長いので、途中まで)