「突破せよ」
砂辺光次郎
講義録1012
(2008/1/9)
他力と自力は究極の一点で出会う。
自力で己れの心を純化し、人間心を排し、天に全託した瞬間、ようやく天からの声が届くようになる。
その瞬間が、自力と他力が出会う一点である。
受け取った天意を人間心で変えてはいけない。
やるかやらないかは、こちらの問題である。
人間心で、人は、怖いとか、勇気がないとかと 言う。
だから、飛び込むことができないと人はおびえる。
しかし・・・
天は教えている。
超越すればいいのだ、と。
天の大計画に参入すれば、
もはや、
怖いとか、人が非難してくるとか、気が弱いとか、
そういうのは丸ごと超越してしまうのだ。
そう、天は教えている。
野の花たちを見れば、黄色や、ピンクや、青や赤に思いっきり咲いている。
人間だけが、なぜ、野の花たちのように思いっきり咲けないのか。
それは、人間心で押し留めているからだ。
魂の本来の華やかさを、
どこまでも伸びようとする個性を、
心のときめきを、
人間心で、
恐怖で、
不安で、
小さな心で、
押し留めているからだと思う。
だから、空しいのだ。
だから、怖いのだ。
だから、嫉妬するのだ。
だから、重苦しいのだ。
だから、他人が気になるのだ。
天は教えている。
突破せよ、と。
超越せよ、と。
闘う相手は、自分の卑小な心だけなのだ。
それだけなのだ。
弱い、
おびえている、
おどおどした、
きたない、
はっきりしない、
重苦しい、
嫉妬している、
小さなことで右往左往している、
自分の卑小な心だけなのだ。
突破せよ、と
天は教えている。
超越せよ、と
天は教えている。
それでもまだ、縮こまり、うずくまり、上目遣いの目でおろおろと見ているだけだとしたら、
そこに残るのは、空しさと、恐怖と、不安と、どんよりと曇った日々だ。
後悔だけの人生だ。
突破せよ、と
天は教えている。
過去の偉人たちが、その人生で示している。
やらなければ全敗だ、と。
やれば、五分五分だ、と。
やらなかったということだけが、人生の失敗であった、と。
天は、実力の千倍の「天命」を下ろしてくる。
天は、実力の千倍のコトを成せ、と伝えてくる。
ここを、
人間心で判断してはならない。
天は、現実を超越せよ、と伝える。
できる、とか
できない、とか
そんなレベルのことは超えよ、と言っている。
それだけではない。
今までの狭い心で判断した、
善だとか、
悪だとか、
好きだとか
きらいだとか
人がどう言ったとか、
資金とか、
妻が、とか
そんな地平はいいかげん超越せよ、
と言っているのだ。
天の意思に忠実に生きることだ。
人間心を排することだ。
成功するのか、とか
幸福になるのか、とか
そういうことは超越せよ、と言っているのだ。
ただ
魂の疼きに忠実に生きること、
生まれてきた目的が、この一点に集約されている。
それを天が私たちに教えているのだ。
(砂辺光次郎)