僕が何故、歩いて学校まで行かなかったのか
想像がつきますか??
病弱だったから?
いじめられっ子で学校へ行きたくないと
泣き叫び、親が送り届けていたから??
僕の実父と実母はそこまで甘くはありません
小学2年までは歩いて学校に行っていました
小学1年の途中から、何故歩いてまで
学校に行かなければならないのか疑問に思い
疑問を抱えたまま小学2年になり
小学3年で、学校に行かない宣言を
実父にして実父は理由を述べろと言いました
小学一年の途中からから歩いてまで
学び舎へ行く意味が分からない
だから、学校へは行かない。と説明
実父は義務教育と言うものが存在し
少なくとも日本国では小学6年間と中学3年間は
学校へ通わないといけないルールがあると
教えられました
小学3年をいれて指折り数えて
7年歩く必要があると知らされ
僕は絶望です
学校へ行かない宣言をした日は休みした
翌日、実父から歩かなければ
学校へいくんだな??と聞かれ
僕は『はい』と返事をしてから
学校へ歩いて行った事はありません
ちなみに兄も途中から
送り迎えになっていた気がします
兄弟で1台の車ではなく
兄弟で1台ずつの車で送り迎えでした
帰りも車です
通学班で学校に通ったり、友達と一緒に帰る
なんてことはした事がないです
送迎が高校まで続きました
高校に入って直ぐに実父が倒れ
実父が経営していた会社を畳むことにして
高校までの送迎がなくなったから
高校は中退しました
有名私学に通っていたんですけどね〜
今思えば、エスカレーターで大学まで行けたから
通っておけば良かったと思いますが
通っていたら、今の僕は存在しないでしょう
あと、入学式や卒業式の類いも
出席した事がないです
幼稚園の卒園式で、この行事は必要か?と
疑問に持ち、小学校の入学式で不必要と
判断をしてから毎年訪れる入学式と卒業式には
必ず休んでました
勿論、自分の入学式・卒業式も休みました
出席する意味がよくわからない
中学校の時は、入学式を出席しなかっただけで
怖いであろう先輩に目をつけられ
車で送迎してもらうなんて生意気だと
言い掛かりをつけられた事もあったっけ
その頃は、覚醒していたので
先輩方に『やりに来るって事はやられる覚悟も持ち合わせてますよね?』って確認して
多勢に無勢でやられて(笑)
後日、各個撃破をしたこともあります
事案ですよね〜
多勢に無勢は卑怯だって(笑)
そんな中学時代です
高校に入ってからは、送迎がそれほど
珍しくもなく一般的な感じでした
それでも、浮いた感じはありました
真面目君ばかりで、悪ふざけをするのは
僕と数人だけって感じ
高校を中退した時はカラーギャングなんてのか
流行をしており、赤だの青だのって
ギャングが別れてましたよね〜
歳がバレルな(笑)
僕の立場は中立
赤でもなければ青でもない
IWGPで言うところの
トラブルシューターみたいな感じ
そんな事を数年やっていると
自ずと日の当たらない道に入り込んでいるもんで
このままだと行けないなって思って
財布と携帯電話だけ持って
旅行に出て、大阪の新世界に行って
ダンボールハウス生活をしていたら
知らないオジサンに拾われて
やることないなら家に来いって言われて
家に行ったら競馬馬の調教師さんの家で
奥さんの家事手伝いを1ヶ月位やって
オジサンから、そろそろ家に帰れって言われて
金がなくて帰れない(笑)って言ったら
電車代くれて、自宅に帰ったら
実母から話があるから座りなさいと言われ
居間で正座して待っていたら
茶封筒を持ってきて、僕に渡す
中を確認したら10万入っていて
あんたがいない方が家が静かだから
また旅行に行ってきてと言われて
トンボ帰りでオジサンの家に戻って
遊びに来たよ〜。なんて言ったら
オジサンに「ドアホが!!」って言われたっけ
帰りの電車代を残して、お世話になりましたって
気持ちを込めて料理をして
食べたもらいました。
オジサンからは二度と帰ってくるな。と
言われてから連絡も家にも行ってはいないです
琵琶湖の花火大会、綺麗だった。
そんなんこんなんあって、今の職業について
ダラダラしてたら知らないうちに
マネジャーになって体壊しました
途中たいぶ端折ってますが
これが僕の半生
血筋や家柄だの、面倒なことが多くなって
しまったけど、どう転ぶかは
自分次第
もっと自由気ままに生きたいね