ベトナムフーコック島旅行記と並行して

こちらも書いてみようと思います。

フーコック島旅行記ものんびり更新して行くつもりです。


。。。。。。

英語を勉強するのが嫌だから

ずーっとドメスティックに生きてきて

この先もそうであると信じていた20代から一変。

それが

台湾と中国、さらにもう一度台湾で子育てと、

人生が想像の斜め上を行って

とにかく日々生きることに必死だった30代(と40代💦)

幸い、嫌いな英語は勉強せずに済んだけど

中国語の勉強からは逃れられずチーン



1番最初の赴任地が、日本人幼稚園どころか

当時はインター幼稚園もない土地だったので

子供達はローカルの

雙語(英語と中国語を学べるという意味)幼稚園へ。

連絡帳は初めからガツンと中国語で記載ゲッソリ

台湾に越してきたばかりの頃、

日本人の9割が知ってるであろう中国語
↓↓↓

ニーハオ!

シェイシェイ!

いーあーさんすーうーろんちゃー!


しか知らなかった私💦

子供達の様子を知りたくても、中国語で

幼稚園の先生とコミュニケーションが取れない💦

子供達が心配すぎて

最初のうちは毎日にように園に直接行って

教室を映し出すモニターをひたすら眺めてました。

連絡帳じゃ様子が分かりませんでしたから💦

だって、日本から持ってきた辞書は簡体字

連絡帳の文字は繁体字。

調べても中国語初心者には難解すぎだったのですチーン

漢字だし、なんとなく分かるんじゃない⁉️

って思ってたら大間違いでしたゲロー

。。。。。。


子供達の幼稚園での様子を知るために

子供達を病院に連れて行くために

絶対に必要だった中国語。

最初の赴任地が中国語を勉強するために

重い腰を上げざるおえない環境だったのは

それから長いこと中華圏に駐在し続けることになる私にとっては

今思えば、とってもラッキーだったのです。

当時は、そんな風に思うことはなかったですが💦


続く