BC356にマケドニアに生まれたアレキサンダー大王は、2005年にも映画『アレキサンダー』として映画化されている。BC334年ダレイオス大王率いるアケメネス朝ペルシャを滅ぼし、東の果てを目指して進軍し、ついにはヒンヅウクシ山脈を超えてカイバル峠からガンダーラ地方に入る。ウィキペディアの「アレクサンドロス3世」の地図を引用する。建設した都市アレクサンドリアは、記録のあるだけでも70箇所に及ぶという。この地図のアフガニスタン、タジキスタン、パキスタンだけでも5つのアレキサンドリアがある。

古代のことでもあり場所の特定など難しく諸説あるが、学説として受け入れられたかどうかの状況は、wiki "List of cities founded by Alexander the Great"で検索すると詳しく書かれている。

 

Alexandria Arachosia(アラコシア) アレクサンドリアの痕跡は残されていない。

現アフガニスタンのカンダハル 

 

Alexandria Eschata(エスカテ)(最果てのアレクサンドリア) 当時アジアの最果てと考えられていた。

現タジキスタンのホジャンド近辺

 

Alexandria in the Coucasus 

現アフガニスタンのHindu Kushの近く

 

Alexandria on the Indus 現PakistanのウチュUch

wiki 「アレクサンドリア (インダス川)」で検索

一説には、紀元前325年にアレクサンドロス3世がこの土地に「アレクサンドリア」を建設したのが始まりとされる[1]。しかし、パキスタン大使館は、アレクサンドロスの建設以前の紀元前500年にはジャイナ教徒仏教徒がこの土地を支配していたと公的に発表している[2]

 

Alexandria-Rambakia  (Karachの古名の一つ) またはAlexandrou Limenリメン)

現Pakistannのカラチ近郊Balochistan州Rambacia Bela(推定) wiki ”ベラ、バローチスタン州 ”

Jatland Wiki "Rambagh"で検索

 

 

ところでこのブログでかつて述べたTaxilaは、執筆当時の乏しい資料からAlexanderが築いたと理解していましたが、今あらためて調べると次のように記載されていました。

https://en.wikipedia.org/wiki/Bhir_Moun

Taxila Bhir Moundの考古学的遺跡は、歴史的な都市タクシラの一つの段階を表している。タクシラの最初の町は、シルカプ遺跡の南西端にあるハティアルの塚にあった。Achaemenid period紀元前2千年紀後期からアケメニ朝期まで続き、アケメニド期はマウンドBに残っている。[2] Hellenistic periodビール・マウンド遺跡は、アケメニド以前の時期から始まり、初期のヘレニズム時代まで続く、タクシラの第二の都市である。

紀元前326年にアレクサンダー大王が凱旋入場した地としても知られています。

 

アレクサンダー大王は、現在のシンド州カラチからバロチスタン州の長大で過酷なゲドロシア砂漠を通って、アケメネス朝ペルシャの首都であったスサ(現イラン)に戻ったが多くの兵士を失った。

地図だけ見ていると海に沿ったルートでそれほど過酷な砂漠には見えません。

 

イランイラク戦争の真っ只中、テヘランに出張したことがあります。

今はどうかわかりませんが、ホメイニの革命からさほど経っていなかったので、

貨幣の持ち出しやペルシャ絨毯など換金制の高い高価なものは持って出ることが禁止されていました。

このため現地で購入することはできません。それでお土産は、ピスタチオでした。

 

一方、Singaporeの絨毯屋では、ペルシャ絨毯は売られています。

店主に聞くと砂漠を超えてキャラバンでPakistanに入るとのことでした。

今考えるとゲドロシア砂漠からパキスタンのバロチスタン州に入りシンド州カラチに入るアレキサンダーと逆のルートだったんだろうと思い当たります。

 

次回は、少し準備時間をとってからイランの話にしたいと思います。

 

 

この地域は魅力的ではあるが、パキスタンとイラン、アフガニスタン国境に近い地域は

政情不安定でとても旅行に出かけることは状況ではない。

 

主要な人種的には、パンジャブ人、パシュトン人、シンド人、バルチスタン人が下図のように分布しています。

カシミールの他にアフガニスタンおよびイランとの国境を接する緑および赤の地域が治安上不安定なところと理解してます。

 

 

 

アレキサンドリアについては、布野修司氏のエッセイ『アレクサンドロスの都市』が興味深い。

ここには、出典:森谷公俊 (2000a) 作図:古田博一の地図が載っている。

 

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/50505f39-58cb-4748-9934-d33f50ee6b59/content