恒例となった年末の行事、
清水寺の貴主が描く一文字が
密というのは記憶に新しい。
コロナウイルスの影響で
他にも同じ意味合いの言葉が選ばれたが
2位の“渦”や今や旬の“滅”、
9位の鬼もなるほどうなずける。
表現は少し違うが
海水から“ニガリ”を抽出する様な
どこかコピーライターの世界と
似ている気がする。
巣籠もり生活もだいぶ緩和されたが
働き方の根本的な見直しや
家族の在り方・心の持ちようが
大きく変わろうとしている。
某新聞の社説に
興味深い一説を見つけた。
歳末の買い出しに訪れた近所の量販店に
ケーキが並んでいた。
売れ残りなのかどれも値引きされ
売り場は混みあっている。
その中で長い間思案する親子がいた。
手を引く小さな男の子に
「 ほら、円いケーキだね 」と
母親が語りかけ、
「本当だね、ちょっと安いね」と男の子。
「これ買おうね」と母親は言うのだが
「いいの?、円いケーキだよ」と男の子。
家族構成も家庭の事情も知らない。
小さく切り分けた一片が
普段目にする“ケーキ”だという事は
なんとなく判るはず。
派手な商戦が続く中幼い心が高価な品に
胸くすぐられても不思議ではない。
それがゲーム機でもなく、
スマートフォンでもなく、
ささやかな品物に笑みが崩れていた。
男の子にとって誰も手をつけていない
“円いケーキ”は大人の思う以上に
値打ちのある贈り物だろう。
大人も子供も不便を覚えたこの一年。
とりわけ窮屈を強いられたのが子供だった。
友達との交わりを断たれ、
外での遊びも制約された
家に籠り背を丸めた“新たな日常”は
切り刻まれて原型の無い
“ケーキ”を味わう様な日々だったろう。
私は買い物をする妻を待つ間、
陽のあたる店のソファーで
この記事を読んだ。
なんとも言えない気持ちが込み上げ
呆然としていたが
来年はどうなんだろう?
と、人間そのものの存在自体に不安を覚えた。
何気なくガラス張りの階下に視点を移すと
相変わらずの時が流れ、
せわしない車列が
我先にと信号グランプリを繰り広げていた。
「さあ、帰ろっか!」
買い物袋を両手に
慌てて駆け寄った妻がそう呟くと
しばらくは訪れる事の無い
都会の喧騒を後にした。
